Webコラム

2006年夏・パレスチナ取材日記 8

マガジ難民キャンプの「掃討作戦」

7月28日(金)

 バスクからの代表団たちに同行し、1週間前にイスラエル軍に侵攻されガザ地区中部のマガジ難民キャンプを訪ねた。7月19日、境界から3キロほど離れたこの難民キャンプにイスラエル軍の戦車が侵攻し、周囲のオレンジ畑やオリーブ畑を破壊し、武装勢力を含む住民18人を殺害、数十人を負傷させた。イスラエル軍は武装勢力の掃討作戦と主張する。しかし現場で住民の証言を聞くと、まったく違った現実が見えてくる。
 難民キャンプの東端に建物が破壊された跡が広がっている。アルミ製の屋根が折れ曲がって瓦礫の中に埋もれ、壊された器械があちこちに散在している。ここには150台のミシンを備えた縫製工場があった。イスラエルから原材料を受け取り、縫製した商品をイスラエルへ送り返す、いわゆるイスラエルの会社の下請け工場だった。しかしこの難民キャンプに侵攻したイスラエル軍はブルドーザーでこの工場を完全に破壊してしまった。「武装勢力の掃討」と工場の破壊とどういう関連があるのか。工場主が瓦礫の中を歩き回り、瓦礫の中から商品の下着を取り出し、私たちに見せた。ミシンは1台が2000ドルから5000ドルもする高価なものだ。それが一瞬にして150台も破壊された。この被害の総額は50万ドル以上にもなると工場主は言った。
 「イスラエルに損害の賠償を求めて裁判所に訴えられますか」。バスク代表団の1人が、工場主に訊いた。欧米社会では当然のことだが、ここではありえないことだ。ラファやハンユニスを中心に、これまで何千という家屋が理不尽にイスラエル軍に破壊されてきた。しかし、イスラエル側がその補償をしたという話は聞いたことがない。おそらくこのパレスチナ人の工場主は、多額の借金をしてこの工場を建てたにちがいない。しかし突然、まったく理由もわからず、一瞬にして全てを失ってしまった。
 今回のイスラエル軍の侵攻は、ハマスらのイスラエル軍陣地攻撃と兵士の「拉致」が契機となった。「『ハマスの攻撃さえなければ、こんな損失をこうむることはなかったのに』というハマスへの怒りはないですか」と問うと、工場主から「ハマスには責任はない。イスラエルの占領のせいです」という答えが返ってきた。
 同じマガジ難民キャンプの北端の民家に案内された。トタン壁で囲まれたこの民家の敷地の中に畑が広がっている。20日の夕方6時ごろ、この家の38歳の母親と14歳の娘は、この畑の一角に座ってくつろいでいた。そのとき突然、この2人に向かってイスラエル軍の無人飛行機から小型ミサイルが撃ち込まれた。現場近くにいた16歳の息子は、その爆発音の方へ駆け込んだ。息子がそこで見たのは、身体がばらばらになった母親と妹の姿だった。残った胴体も衣服は焼け消え、裸だった。直後に隣人たちが集まり、その遺体を収容するとき、父親は、隣人たちに妻や娘の裸の遺体が運ばれていくのが耐えられなかったという。イスラムの世界では、妻や娘の裸体を他人にさらすことは、もっとも屈辱的なことだからだ。吹き飛んだ肢体や肉片の一部が事件から何日も経ってから次々と畑から出てきた。娘の片脚の一部はまだ発見されていない。

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