レバノン虐殺への反応と“エリート学生”たちの卒業式
7月30日(日)
毎日立ち寄る「パレスチナ人権センター」ハンユニス支部のオフィスでは、スタッフたちは朝からテレビニュースに釘付けになった。南レバノンのカノ村で、イスラエル軍の空爆で60人近い住民、うち子ども40人ほどが殺害された現場の様子がアラブの衛星放送で延々と実況中継された。瓦礫の中から次々と子どもの遺体が収容される。多くの遺体の顔が黒く汚れている。瓦礫の中に埋もれていたのだろう。瓦礫の中から寝間着姿の脚だけがみえる遺体も映し出された。片手を前に突き出したまま、身体が膠着した遺体もある。3階建ての建物に女性や子どもたち住民たちが避難し、就寝中だったという。安全だと思った地下室に避難していた女性や子どもたちも深い瓦礫の下に埋もれた。「アラビア」放送によれば、早朝、「赤十字」の隊員が救出に駆けつけた後も、空爆は続き、現場になかなか近づけなかったという。
イスラエル側は「攻撃はロケット弾を発射する者たちの聖域に対して行われたもので、民間人を事実上の『人間の盾』に利用するヒズボラの戦術に原因がある」と主張した。その主張もアラブ諸国の民衆、パレスチナ人の怒りをいっそう増幅させている。6月、ガザ北部の海岸でピクニック中の一家7人がイスラエル海軍の砲撃で殺害されたときも、イスラエル側は「パレスチナ人の武装勢力が海岸に埋めた地雷による被害」と主張し、パレスチナ人を呆れさせ激怒させた。
現場からの生中継の映像で、瓦礫の中から次々と収容される子供や女性たちの遺体を見つめる「人権センター」のスタッフたちの口々から「虐殺」という言葉が飛び出した。「(イスラエルは)狂っている」とつぶやき、頭を振る男性もいる。
ハマスやヒズボラによるイスラエル軍の襲撃をイスラエルやアメリカ政府は「テロ」と呼び、激しく糾弾する。では、就寝中の数十人の子供たちや女性たちを瓦礫の下に埋め惨殺するこの行為を、イスラエルやアメリカ、そして世界は何と呼ぶのだろうか。「報復」?「テロとの戦争」?
私は友人に訊いた。「将来、イスラエルと共存できる日が来ると思う?」。すると友人は即答した。「不可能だ」。イスラエル軍による破壊や殺害現場、遺体や負傷者が担ぎこまれる病院で、そしてレバノンの状況を伝えるテレビを見つめる住民たちの表情にイスラエルやイスラエル人に対する激しい憎悪の声や態度を目の当たりにすると、パレスチナ人とイスラエル人との関係はもう修復できないところまで来てしまったのではないかと私自身思うときがある。1993年9月の「和平合意」調印直後、パレスチナ人青年たちがイスラエル兵に花を捧げ、談笑する光景を撮影したことがある。あれから13年、まったく対極の光景を私は今ガザで目撃している。
夕方、イスラム大学の卒業式を取材するため、ハンユニスからガザ市へ向かった。式が始まる6時直前に大学に到着すると、正装し大学のマークの入ったガウンをまとう500人ほどの学生たちが男女2列の長い列を作っていた。定刻になると、式典の会場のなるホールへ2列の卒業生たちが行進して入っていく。日本の大コンサートホールと見間違うほど、会場は数百の客席を備えた2階建てのモダンな巨大ホールである。「ガザにこんな立派な建物があったのか」と驚く。客席は学生の家族や友人たちで埋め尽くされている。行進して会場に入ってくる卒業生たちを迎える会場の家族、友人たちの手拍子が大会場に響き渡る。彼らはガザ地区最高の大学を巣立っていく“エリート”たちである。イスラエルによる封鎖と侵攻と貧困の中で、身を切る思いで高い学費を工面し通わせた大学を今、自慢の息子、娘が卒業する。その晴れ姿に、会場の家族は胸をつまらせているに違いない。力いっぱいの会場の拍手に、ステージを埋め尽くした卒業生たちが誇らしげに胸を張り、会場の家族たちに笑顔で手を振る。
厳粛に進行する式の様子はステージ左右の大きなスクリーンに映し出され、会場のあちこちから撮影されるその映像は次々切り替わっていく。欧米の大政治集会のような大掛かりな演出である。
ハマス政権の閣僚らの祝辞、学生代表の答辞などが終わると、卒業生全員の名前が呼ばれ、1人ひとり学長から卒業証書を受け取っていく。自分の番になると卒業生たちは撮影する家族のために、証書を掲げ学長と握手するポーズをとって立ち止まる。そのたびに列の流れは幾度も止まる。卒業生とその家族にとって一生一度の晴れ姿である。それをとがめる者もいない。
最後に学生たちと会場がいっしょにイスラム大学の校歌を合唱した。大きな歌声が会場いっぱいに響き渡った。誇らしげに大声で歌う卒業生たちの輝いた顔をアップで撮影しながら、私の胸に熱いものがこみ上げてきた。輝いた表情のこのエリート学生たちの大半は、しかし卒業しても仕事がないのだ。この卒業生の中に、私のガザ取材を支えてくれる通訳の青年もいた。彼はこの2月に学業を終えたが、この半年、仕事がなく、自宅で無為に時間を過ごしてきた。実に有能な青年だが、彼の能力をいかす場がガザ地区にはないのだ。彼だけではない。ガザの多くの大学卒業生たち、また海外留学から帰国した青年たちさえ、職につけなのだ。封鎖に象徴される、今なお続くイスラエルの“占領”はガザの若者たちから夢を奪い、未来を奪っている。“占領”の恐ろしさは、爆撃や銃撃だけではない。封鎖などによって若者たちから生きるための“夢”“希望”を奪っていくことだ。これは紛れもなく“暴力”である。“構造的な暴力”である。
卒業式で輝いていたあの青年たちから、“将来への夢と希望”を奪ってはいけない。