レバノン攻撃を正当化するイスラエル国民の深層
8月17日(木)
私のユダヤ人の友人Mは、かつてエルサレム市の市議会議員だったが、その後、イスラエル当局によるパレスチナ人の家屋破壊を調査・報告し、国際社会に告発するNGOのスタッフに転身した。イスラエル左派政党「メレッツ」のメンバーである。
私はこの間、ずっと抱いてきたイスラエル国民への疑問をMに率直にぶつけてみた。「最近のガザ地区やレバノンへのイスラエルの異常ともいえる猛爆撃、インフラ破壊、一般住民の殺戮にイスラエル市民をどう観ているか、罪悪感はないのか」、と。
Mはまず、今回のレバノン攻撃に対するテルアビブ大学による世論調査の結果を示した。攻撃当初、国民の93%が「正当化できる」と支持、これに反対したのはほんの5%だったという。多くのインフラを破壊し、数百人の一般市民が殺戮された空爆を「正当化」できるとした国民も91%に達している。イスラエルでもっとも左寄りだとされる「メレッツ」支持者でさえ、53%がその空爆を支持している。
Mは当初からこの攻撃、戦争に反対してきた。つまり「国民の5%」に入る超小数派だった。左派政党「メレッツ」の中でも、Mは「“過激派”メレッツ」、「“ジハード(聖戦)”メレッツ」(一般に「過激派イスラム組織」と呼ばれる組織「イスラム・ジハード」からの引用)と揶揄された。
私はガザ地区で見た爆撃に重傷を負った子どもたちの姿や、アラブ衛星放送が伝えた南レバノン・カナ村の破壊された瓦礫の中から引き出される子どもや女性たちの無残な遺体の映像を思い出していた。「なぜ、あのような殺戮が『正当化』できるのか。イスラエル市民は良心が痛まないのか。自分たちの被害にはあれほど大騒動するイスラエル人は、なぜ他人の痛みにこうも無神経、無感覚になれるのか」と、私はMに質問を畳み掛けた。
Mは「イスラエル人がこうなってしまう大きな転換期は1967年の第三次中東戦争だった」と説明し始めた。「たしかに、シオニズムの思想自体にそういう傾向はあった。シオニズムを実現化するには、それを阻止する勢力を力で叩き潰し、実力を行使して推進すべきだと主張したシオニズムの思想家ゼイブ・ジャボティンスキーはその象徴ともいえるだろう。
しかし1967年までのイスラエルは、戦争や紛争で周囲のアラブ人、パレスチナ人の一般住民を殺戮することはたしかにあったが、そのことへの良心の痛みを持ち続けていた社会だった。
しかし第三次中東戦争によってイスラエル人はすべてが変わってしまった。それまでユダヤ人はホロコーストに象徴されるように、“いつも周囲の社会から迫害され虐殺され続けるひ弱で、貧しい民族”という自己イメージを抱え続けてきた。しかし第三次中東戦争での予想もしなかった大勝利を手にした。突然手にして広大な領土と莫大な富、そして絶大な権力、“脆弱なユダヤ人”だったイスラエル市民は、その新たな現実にどう対処していいのかわからなくなり、自分を見失ってしまった。それはやがて“過剰な自信”となり、信じられないような傲慢さと横暴さを国民の心と社会に生み出していった。それは抑圧され続ける“ひ弱なユダヤ人”の歴史の反動ともいえる現象だった。その転機となったのが、第三次中東戦争だったんだよ。」
イスラエル人が他者に与える苦しみに無感覚である現状を生み出した要因として、Mがもう1つ挙げたのが“ホロコースト”メンタリティーである。自分たちユダヤ人はあれほど悲惨な被害を受けてきたという被害意識が、他者への加害に対して“免罪符”となっている。自分たちは史上最悪の残虐を受けてきた最大の犠牲者なのだという意識が、自分たちが他者に与える苦しみへの“良心の呵責”の感覚を麻痺させているというのだ。
Mはレバノン攻撃をめぐるイスラエル国内での一連の報道の中で、注目すべき記事について語った。それは1週間ほど前に有力紙『ハアレツ』に掲載されたギデオン・レヴィ記者の記事である。彼はこの中で、「この戦争に勝利できなかったことは、イスラエル社会にとって幸いだった」と、レバノン攻撃に賛成する大半の国民の神経を逆なでし激怒されるような主張を敢えて展開した。つまり、この「勝利できなかった戦争」の反省から、これまでのように“武力による問題解決”はもう有効ではないという教訓をイスラエル社会はこの戦争で高い代価を払って学ぶことになったからだというのである。
海外のジャーナリストの中には、こういう主張を展開する者もいるかもしれない。しかし遠い国の“安全圏”からの、高い位置から見下ろすような評論は、イスラエル国民は歯牙にもかけないし、イスラエル社会にほとんど影響力もない。しかし、その国民の1人である記者がイスラエル社会内部から、猛烈な反発と攻撃を覚悟でこのような主張をすることは、とてつもない勇気を必要とする。その一方、有力紙の著名な記者の主張であるがゆえに、その影響力も計り知れないほど大きい。ジャーナリストとは本来こうあるべきなのだと、私は叱咤され、鼓舞される思いがした。