(以下の文章は、 2006年9月12日朝日新聞朝刊「私の視点」に掲載された記事の原稿です)
(2007年2月5日公開)
パレスチナ自治区・ガザ最大のシェファ病院で人工透析の女性患者の治療が突然、停電で中断された。「血液を患者に戻さなければ。最初からやりなおしです」と医者が私に告げた。
6月下旬のイスラエル軍による発電所の爆撃以来、断続的に続く停電で深刻な影響を受けているのは医療活動だけではない。工業への打撃も甚大だ。アイスクリーム工場は操業不能となり、200人近い従業員が職を失った。また冷蔵保存できない商品の返品も相次ぎ、大損失を出した。
一方、イスラエルは海外への唯一の出入口、ラファ国境を今なお管理下に置き、物資流通の窓口やヨルダン川西岸への出入口も支配し続けている。“占領”とは「他国がある地域の一般住民の生活を事実上、支配し管理すること」だ。昨夏のユダヤ人入植地撤退後も、ガザ地区は紛れもなくイスラエルの“占領下”にある。
1月の選挙でハマスが大勝利し、イスラム抵抗運動ハマスが政権につくと、欧米諸国や日本は一斉に「テロリストの政府」と非難し、自治政府を支えてきた海外援助を凍結し、ハマスとそれを選んだ住民に圧力を加えた。「これで生活がひっ迫する住民の不満と怒りはハマスに向かい、民意がハマスから離れる」との思惑からだろう。実際、封鎖の強化に相まって、海外支援の凍結で公務員の給与は半年以上も未払いが続き、貧困ライン以下の住民が67%に達した。栄養失調の子どもも急増している。
ところがガザ各地で住民の声を聞くと、その高まる怒りは、ハマスへではなく、イスラエルとその“占領”に向いているのが実態だ。レバノン情勢への住民の反応が、それを象徴している。イスラム・シーア派組織ヒズボラの攻撃でイスラエル軍に多くの犠牲が出たことや、ミサイル攻撃がイスラエル北部の住民を恐怖に陥れたことにガザ地区の住民は溜飲を下げた。今やヒズボラ指導者、ナスララ師はパレスチナ人の「英雄」だ。
パレスチナ人の怒りの矛先は、欧米や日本にも向いている。「米国は『中東に民主主義を』と声高に叫び、イラクに戦争までしかけた。私たちはまさにその民主主義の実現のために、海外の監視員たちも驚嘆するほど公正な選挙でハマスを選んだ。それなのに米国やこれに追随する国々は私たちが民主主義を実現したことに“懲罰”を加える。なぜ世界は、住民が選んだハマスにチャンスを与えようとしないのか」というのだ。
「住民を窮状に追い込めばハマスは支持を失う」と国際社会が見込んだとすれば、“占領下で生きる人々の心情”を完全に読み違えている。封鎖で窒息状況に置かれ、失業と貧困が若者の将来の希望を奪う。そしてイスラエルの圧倒的な武力で殺傷され続ける日常の苦しみと屈辱。その中で “占領する者”と“それを支える者”への住民の怒りは増幅されていく。国際社会はこの構造を見誤ってはならない。
(2006年9月12日朝日新聞朝刊掲載「私の視点」原稿)
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