Webコラム

日々の雑感:教育の素人集団による教育行政作り

2007年1月17日(月)

 「遠い海外のことばかりやっていていいのか。『教育基本法』の改悪に続き、憲法改悪への急速な動きに象徴されるように、これほど日本の政治と社会が右傾化し荒廃していく中で、ジャーナリストとして何か行動を起こさなければ」という思いから、私たちJVJA(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会)では、各人が関心のある、右傾化を象徴する国内のテーマを選び、取材し発表していくことになった。
 私は今、教育問題に取り組もうと、資料を読み、現場の教師たちの話を聞いている。その中でわかってきたのは、国や地方自治体の行政側からの教育現場への締めつけが強化されている実態と、その管理の中で摩滅、消耗させられていく教師たちの現状だ。過重な研修、校長から押し付けられる山のような報告書や計画書などに追われ、本来の子どもと向き合う時間を奪われる教師たち。早朝から夜遅くまでの仕事に追われ、校長や保護者からの批判に耐えられず、精神的に追い詰められていく若い教師たち。
 一方で、杉並区のように、首長が行政の指導に従順な教師を育てる動きもある。議会や市民の監視やコントロールの行き届かない「任意団体」である「師範館」を設置し、経済界のリーダーたちや、松下政経塾、また歴史事実を歪曲しようとする「新しい教科書をつくる会」関係者たちを講師に招いて、「理想の教師」を育成しようというのである。区議の1人が「民間のやっているセミナー事業と変わらないのでは」と指摘するほどだ。その塾長は「企業と経営資源はヒト、モノ、カネ、情報と言われていますが、私はなかでも人材がもっとも大切な経営資源だと考えています」と豪語する。それに対し、ある区民の保護者は、「『人材が経営資源』なんて、もっとも非教育的な考え方。こういう人に育てられた教師が、どのように子どもと接するのか、今から不安です」と不安を語っている(『世界』2月号)。この「師範館」は、卒業すれば無試験で杉並区の教員になれるという“アメ”付きだ。

 このような教育現場の現状のなか、安倍内閣が政策の重点とする「教育再生会議」の記事を「日刊ゲンダイ」で目にした。ワタミ社長やトヨタの会長、JR東海会長、さらに落語家夫人、元オリンピック選手など、教育の専門家でもない人物が名前を連ねるこの会議。中で、「調和のため、学校で手をつないでハミングさせてはどうか」(元オリンピック選手)、「授業をする前に先生にお辞儀をして『お願いします』と言わせよう」(JR東海会長)、「子守唄を復活させよう」(落語家夫人)などいう意見が出ているという(「日刊ゲンダイ」(1月16日班)。
 そして夜のテレビニュースでは、その「教育再生会議」で、教職員の人事権を都道府県の教育委員会から市町村教育委員会に移譲することと共に、学校の授業数を増やすことなどの方針を決められたことが報じられた。
 これらの決定が今の学校現場とりわけ教師たちの置かれている現状を熟考しての判断なのか。教育をビジネス感覚で裁断しようとするこの会議の委員たちに、現場で、教育委員界、校長、そして保護者たちからの強まる圧力の下、理想の教育をともがき、呻吟する教師たちの声が聞こえているはずがない。そんな連中が日本の将来を担う子どもたちの教育の方針を決めていく─空恐ろしくなる。
 教師である知人は、「今でさえ5日制になった現場は、授業時数の確保に先生たちは必死なのに、これ以上、どうやって授業時間数を増やすんだろう。授業についてこられなくなっている子どもたちも多いなか、ただ時数だけを増やしたら、学校へ来られなくなる子どもは増えてしまうかもしれない。また授業時数が増えるということは、個々の教員の負担もますます増えるということで、これまで行ってきた事務や教材研究は勤務時間外にどんどん食い込んでいくことになる」と言う。
 その現実を「日刊ゲイダイ」はストレートに報じている。しかし16日の『朝日新聞』朝刊は、ただ会議で人事権の移譲の方針を決めたこと、また教育委員会の見直し策を検討していることを伝えているだけだ。「日刊ゲイダイ」のように、教育専門家でもない“素人”たちが日本の教育方針を決めていくことの怖さを指摘する文脈もなければ、委員たちの発言と教育現場の実情の乖離を指摘する文章などどこにも見当たらない。『読売新聞』さえ、これが、公立学校の授業時間数を10%増加する方針で、70年代以来の始まった「ゆとり教育の見直し」であることをきちんと伝えている。この記事を読む限り、『朝日新聞』には、この「教育再生会議」の動きに対する警戒感がまるでないかのようだ。

次の記事へ