2007年4月2日(月)
ヨルダン渓谷の重要性を認識するイギリス人たち
昨日、ヨルダン渓谷を北上し、そのままヨルダン渓谷の西方、ジェニンから車で30分ほどの距離で南東に位置する街、トゥバス市へ向かった。ヨルダン渓谷を案内してくれたNGOスタッフの家がこのトゥバスにあり、その夜はそこに泊めてもらうことになったからだ。1985年から翌年にかけて1年半ほどパレスチナに滞在し、ヨルダン川西岸やガザ地区の大半の場所は訪ねまわったつもりでいたが、このトゥバスを訪ねたのは初めてである。海抜下300メートルほどのヨルダン渓谷から高地に位置するこの街へ移ると、気温がぐっと下がる。ヨルダン渓谷ではシャツ一枚で十分だったが、ここでは寒くて、セーターが欲しくなるほどだ。しかも夜は雨だった。
夜、イギリス人の青年がこのNGOスタッフの家を訪ねてきた。彼は本国でもパレスチナ支援活動を続け、しばしば現地を訪ねている活動家だった。この青年たちは1年前から、このトゥバスを拠点にしたスタディーツアーを準備してきたという。17人のイギリス人が参加するそのスタディーツアーが4月5日から始まるため、その下準備と打ち合わせのため、コーディネーターを務めるNGOスタッフを訪ねてきたのだ。
なぜトゥバスなのか。その青年によれば、ヨルダン渓谷へのアクセスが便利なことが最大の理由だという。ツアー参加者のうち大半は大学生だが、中にはクエーカー教徒や80歳を超える老人もいる。もちろんこの街で、パレスチナ人学生たちとの交流、イスラエル刑務所に投獄された政治犯を支援する組織などさまざまなパレスチナ運動体との交流もプログラムに組み込まれているが、大きな目玉は、ヨルダン渓谷だという。このイギリス人青年は、パレスチナにおけるヨルダン渓谷の重要性を強調した。その現状を知ってもらうことが、このツアーの大きな目的の1つだという。参加者たちはトゥバスの民家に宿泊したのち、ヨルダン渓谷の村での民宿も計画している。
日本とヨーロッパとの“パレスチナ認識”の深さの違いを見せつけられる思いがした。日本だったら、「今のパレスチナは危ないから」と、スタディーツアーそのものの実現さえ危ういだろうし、やれたとしても、エルサレム、ラマラ、ジェニン、ヘブロンなどすでに広く知られて、比較的治安が落ちついた場所に限られるだろう。ましてやそのターゲットをヨルダン渓谷に向けるような発想は、日本人の中にはまったく無いにちがいない。そのヨルダン渓谷の現状の深刻さとこの地域の重要性を、パレスチナを取材するジャーナリストたちさえほとんど認識できていないのだから。
そういう地域で、今、日本が巨大プロジェクトを実施しようとしている。それが有効なのかどうかを判断するための資料も知識も私たちはほとんど持っていない。だから批評のしようもないのだ。私たちジャーナリストが今やらなければならないのは、JICAのプロジェクトの是非を云々する以前に、ヨルダン渓谷とはどういう地域であるのか、どういう人がどういう生活をしているのか、そしてどういう問題を抱えているのかをきちんと取材し、日本に知らせることだろう。そういう状況の中で日本のプロジェクトがほんとうにパレスチナ人の「平和」につながっていくのかどうかを判断するのは、それからのことだ。
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