2007年4月16日(月)
なぜ元兵士たちは“占領”を語るのか
占領地でのイスラエル軍兵士たちの実態を証言する元兵士たちのグループ「沈黙を破る」の代表、エフダはこの日、自宅で、ベルシェバ市のベングリオン大学へ証言集やビデオDVDを郵送するために荷造りの作業をしていた。全国の主だった大学には「沈黙を破る」の活動を支援するボランティアたちがいて、証言集を配布したり、証言ビデオの上映会をしてくれるのだという。大学生たちはすでに3年、または2年の兵役を体験しており、これらの活動を通じて、学生たち、つまり元兵士たちの中からさらに証言者を募るのである。
私がこのグループの存在をイスラエル人の友人から教えられたのは2004年の夏だった。“占領”の実態、とりわけイスラエル兵士たちの目にあまる暴行を多くのパレスチナ人の証言から聞いてきたし、私自身もこの目で幾度となく目撃してきた。しかし、その当時者たちが自らその行動、占領の実態を語り始めたという話に私は驚き、ぜひその証言を取材したいと思った。しかし友人に紹介されたメンバーの1人は丁重に私の取材を断った。自分たちが取材に応じるのは国内のメディアだけで、海外のメディアには応じないという。国内の“恥部”を海外に伝えることは、「汚れた洗濯物を外で洗濯する」ようなものだというのだ。私は取材を断念せざるを得なかった。
しかし1年後、ある平和運動体のオフィスで、その代表エフダに会ったとき、インタビューに応じてもいいと言った。この1年の間にグループの方針が変わったのだ。私はエフダ、そして同じくグループの幹部アビハイという青年にインタビューした。その内容は、生々しく、衝撃的なものだった。彼らは、“裏切り者”という右翼の非難のなか、「このような占領を続ければ、イスラエル社会がいっそう病んでいく」という危機感から、敢えてイスラエルの“恥部”を証言し始めたのである。
どこの国だって、自国の“恥部”をあからさまにすることに反発し、証言し告白する者たちを攻撃する個人や集団はいるものだ。日本でも、メディアで南京虐殺や元日本軍「慰安婦」など“日本の加害責任”について伝えようとすると、猛反発が起こり、新聞社やテレビ局、そして取材し発表したジャーナリストにもさまざまな脅迫や圧力が加えられるのは常である。政府自体もその“恥部”を覆い隠し、教育の現場で子どもたちに教えないように教科書も検閲していく。そんな日本の国民には、占領の実態を覆い隠そうとするイスラエル社会の空気を批判する資格はないのかもしれない。
イスラエルでは、“恥部”を証言する活動に対し、社会はどういう反応を示すのだろうか。
私はエフダに訊いた。
(Q・暴行を受けるようなことはないですか?)
「いや、そんなことはないですね」
(Q・ヘブロンの入植者たちからも?)
「ヘブロンでは我われのグループの半分は、攻撃を受けたはずです。しかしそれほど深刻なものじゃない。石や卵を投げられたりします。でもそれ以上のものではないんです」
(Q・銃撃されたりしないんですか?)
「いや、そんなことはないですよ」
(Q・就職するときに、この活動が不利になることはないですか?)
「イスラエル社会で、こんな活動のために、就職を断るなんてことはないですよ」
(Q・イスラエル人の中にはあなたちのことを『裏切り者』だと呼ぶ者は多いでしょう)
「裏切り者」と呼ぶ者たちはいます。しかし、そう呼ぶ者も文字通りのメッセージを伝えようとしているのではないと思う。そういう言葉を使って、私たちの活動への反発の意思を伝えようとしているのだと思います」
「このままではイスラエル社会のモラルが破壊されてしまう。国民は占領で何が起こっているのか多くの人がまず知らなければ」という思いから始まった彼らの活動は、実際、イスラエル社会にインパクトを与えているのだろうか。
「その問いには即答はできませんが、ただ1つ言えることは、3年前に、誰かが私のところへ来て、『将来、420人が沈黙を破り証言する』というようなことを言ったら、私はその人間はホラ吹きだと馬鹿にしてすぐに部屋から追い出していたでしょう。でも、すでに証言者は420人を超え、先月だけでも15人からの証言を得ました。兵士の恋人、両親、兄弟、部隊の友人、大学の友人などさまざまな人たちからの証言です。それが今、私が答えられることです」
(Q・マスメディアの反応は?)
「私たちのグループは、いわゆる『左派』の集団とはみなされていません。むしろイスラエル社会の“主流派”だとみなされているんです。元“戦闘兵士”で、『とても敬意を払われているグループ』として。2005年には大新聞『マーリブ』の週刊ウェブサイトで証言が5ヵ月にわたって掲載されました。これは右派の主流派のメディアです。兵役拒否のグループなど他のグループより、主流派のメディアの視聴者、読者に届きやすく、より効果がある“位置”にいるんです。
我われは、ある一定の『問題解決』の道を提示し要求しているわけではなく、ただ問題を提示し、事実を語っているだけです。イスラエル国民がその現実と向かいあうようにです」
エフダは昨年10月から2ヵ月にわたって、全米各地で講演ツアーをした。彼がとりわけ聞いてほしかった対象は、ユダヤ系市民の聴衆だった。
「なぜならディアスポラ(離散)のユダヤ人社会が、イスラエル国家の道徳性、アイデンティティー、価値観について議論することはとても重要だと考えたからです。イスラエルはユダヤ人国家です。だからユダヤ人はイスラエルの道徳、価値観などに責任を持つ必要があることを理解しなければなりません。つまり、ディアスポラのユダヤ人もイスラエルにどんな社会を求めるのか、どんな国であってほしいのかの議論に加わらなければならないのです」
以前、グループの幹部にインタビューしたとき、その元将校は、「自分たちの語っていることは、単にイスラエルだけの問題ではなく、ベトナムやイラクのアメリカ兵、そして中国での元日本兵にも共通する、普遍的な問題なのです」と私に語った。私は代表のエフダにその“普遍性”について訊いた。
「私たちの提示している問題は、“人間としての問題”です。ヘブライ語のことわざに、『あなたは他人の失敗から学ばなければならない。あなた自身が全ての失敗をする時間などないのだから』というのがあります」
(Q・つまりあなたたちの活動は単にイスラエルのためだけではないのですね)
「私たちはイスラエル人であり、イスラエルの中で活動しています。もちろん、海外に伝わり、そこから普遍的な教訓を得ることはいいことです。しかし私たちはまず自分たちの祖国であるここで、現実を自国民に示そうとしているのです。
ただ、アメリカでの講演ツアーのとき、何回となく、ベトナム、イラクなどで兵役についた人たちが立ち上がって語りました。彼らは、私が語っている言葉と同じ“言語”、つまり“同じ感情”を語ったのです。私たちが体験した状況は違ってはいるけど、語っているのは同じ“言語”なのです。
私たちの言葉は“人間”の言葉だと思います。同じ世代の声です。“占領”に加担し、今、それがどういう意味を持つのかを説明しようとしているのです。
私たちは今、イスラエル国民に向かって、“窓”を開けさせ、“占領”とは何かを理解させようとしています。“占領”は“占領”なのです。私はイスラエル人であり、ここでは“占領者”なのです。だから自分自身の話をここイスラエルでやっているのです。私の社会、私の国、私の軍隊、私の友人、私の世代に対してです。 “占領”に加担した兵士たちならすべて、私たちの語っていることは理解できると思います。私たちの感情、考え方に共通し、繋がっていることなのですから」
「沈黙を破る」のグループはすでに420人を超える元兵士から証言を集めた。しかしその90%を超える証言者たちは、身元を公開することを拒む。なぜなのか。
「この証言で語られる内容の多くは、イスラエルの法律に照らしても“犯罪”なのです。公に自分がやったことを語ることで、証言者は裁判にかけられるかもしれないというリスクを冒しているのです。
もう1つはその内容が“恥”だからです。ユダヤのことわざにある「汚れた服を外で洗濯する」ことだと考える者もいます。さらに自分が所属していたエリート部隊の名誉やプライドを傷つけることを恐れる者もいます」
ではなぜ、敢えて彼らは証言するのだろうか。
「私たちのグループに証言をする元兵士たちの動機は、実に幅があります。でも主要な理由は、政治的・道徳的な理由です。『なんということだ。これが自分がやったことなのか。これはまったく間違っている。なんとかしなければならない。今がそのチャンスなのだ。証言をして、沈黙を破ることなのだ』と考えるのです。証言することは、こういう状況を終わらせるための小さな第一歩なのだと。
中には沈黙を破り、証言することを、『自分の良心を取り戻すプロセス』として捉えている者もいると思います。しかし私が会った200人近い元兵士たちに関して言えば、証言をする動機の多くは、単に、自分のやったことを告白し、自分の後ろめたさを洗い流し、ほっとするためではない。もっと政治的な動機で証言するんです」
【関連サイト】
Shovrim Shtika (Breaking the silence): shovrimshtika.org
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