2007年4月19日(木)
村上春樹とパレスチナ
ベッドから出て、1日の活動を開始しようとしたとき、腰の鈍痛がじわじわと広がっていく。朝食のために食堂まで歩く1、2分の時間にその痛みは本格化してきた。居ても立ってもいられないほどの激痛ではない。重い鉛を腰につけて歩いているような鈍痛なのだ。
幸い、今日予定していたナブルスのバラータ難民キャンプの取材は延期になった。イスラエル側の取材もない。たまっていたカット表作り(撮影した映像を時間ごとにその内容を記録する作業)も済ませた。日記も今日はお休みと決め、この日はベッドに横になったまま、2、3日前から読みかけ、夢中になっている村上春樹の『海辺のカフカ』の“読書の日”と決め込んだ。
小説をほとんど読まない私が村上春樹の本に夢中になったのは、去年の夏、ガザ取材のときだった。連れ合いに薦められて、村上作品の中で彼女が一番面白いという『ねじまき鳥クロニクル』の文庫本2冊(3冊で完結することを知らず、もう1冊を買い忘れた)を旅行カバンの中につっこんだ。取材に出ることき、いつも何冊かの文庫本か新書を持っていくのだが、取材中は忙しくてまともに読んだためしがない。今度もたぶんそうなるだろうと思った。
しかし、前回のガザ取材は違っていた。滞在先となったハンユニス市内の友人の家では、イスラエル軍に発電所を破壊されため、7時間おきに停電になった。電気がないと、バッテリー機能をほとんど果たさなくなった私のパソコンは使えず、カット表作りに欠かせないモニターの器械も使えない。つまり全く仕事ができないのだ。仕方なく、私は屋上で夕方の明かりやろうそくの灯りを頼りに『ねじまき鳥クロニクル』をめくることになった。単なる時間つぶしと思って読み始めた。しかし、現実にはありそうもない荒唐無稽な話だが、驚くほど豊富な語彙で詳細に描かれる心象描写に、その小説の世界に私はぐんぐん引き込まれていった。
パレスチナ人の家に住み込み、朝起きてから寝るまで“パレスチナ”尽くめの生活が何週間も続くと、正直、その現実を目の当たりにし続けることに耐えられなくなるほど苦しくなり、疲れもストレスもたまる。少しはこのパレスチナ世界から逃避して疲れきった“心”を癒したいと心底思う。しかしテレビも見てもパレスチナのニュース、ドラマもアラビア語で安らぎにもならない。散歩に出ても出会うのはパレスチナ人。気分転換する場所も手段もないのだ。そんなとき、思いがけず、村上春樹が描く“世界”が“逃避の場”“気分を転換する世界”になったのである。読んでいる間、私の疲れた心は、“パレスチナ”から“ガザ地区の現実”から離れ、“遠い日本の荒唐無稽な世界”をさ迷い遊ぶ。こんな気分転換の方法があったのだと私は大発見をした気分になった。
そして今回は、『海辺のカフカ』。早熟な15歳の少年「カフカ」(「大人」も幼稚化した現実の日本では、これほどモノを考え、表現する能力をもった15歳の少年などいるはずもないのだが)の出会いとその細かな心理描写、猫と話をするちょっと知的障害をもった初老の男性「ナカタさん」、彼に引きつけられて仕事を放っぽりだし、「ナカタさん」と四国まで旅をする若い運転手「ホシノさん」、そして文字を追うだけでも妄想を抱かせる魅惑的な女性「佐伯さん」・・・・。全く関連のないように思える3つの物語が別々に描かれ同時進行しながら、いつしか1つの物語に収斂していく不思議な世界。「次はどうなるのだろう?」と私はぐんぐんとその小説の世界にのめりこんでいく。そのときの私はもう“パレスチナ”にはいない。村上春樹が描き出す“荒唐無稽な不思議な世界”に迷い込んでしまう。そしてふっと本から目を話し、壁1つ隔てたエルサレムの通りの雑踏、アラビア語の叫び声を私の聴覚が感知するとき、また現実の“パレスチナ”に引き戻される。しかし、本を読みふけっているときは、私はこのパレスチナの現実の世界から逃避でき、気分を転換できるのだ。
1冊500ページを超す分厚い本を2冊も、3日ほどかけて読み上げてしまった。読書の苦手な私にとって画期的な出来事である。読み終え、その読後感にひたりながら、ふと思った。「これほど心象描写に長けた作家が、パレスチナに来て、パレスチナ人を描いたら・・・」と。私のように、目撃した現象や聞き知った現実を貧弱な語彙でなんとか表現しようもがく拙い文章によってではなく、天才的な想像力と創造力、観察力と表現力をもった村上春樹のような作家が、パレスチナの現場を取材して回り、パレスチナ人たちの“心のありよう”を描いたら、“パレスチナ”はもっと日本人に近くなるのではないかと思えてくるのだ。今、日本のパレスチナ報道に最も必要とされているのは、現象の表面をなでて伝えるような表層的な表現伝達しかできない私のようなジャーナリストの記事ではなく(そういう表現伝達も一方では必要なのだが)、人間の普遍的な深層心理を見通すような深い洞察力と、それを原型のまま伝える表現力をもった“伝達者・表現者”の文章ではないか。
村上春樹とパレスチナ。おもしろい組み合わせになるはずだ。
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