Webコラム

日々の雑感 39
パレスチナ・2007年 春 25

2007年4月24日(火)
JICAパレスチナ事務所長へのインタビュー(1)

 昨日、JICAパレスチナ事務所の成瀬猛所長にインタビューするため、JICAのジェリコ事務所へ出向いた。テルアビブの事務所ではなく、ジェリコ事務所をインタビューの場所に選んだのは、その現場を見たかったからである。
 3月、東京で会ったとき、成瀬氏から直接、ヨルダン渓谷でのJICAプロジェクトのあらましを聞いていた。そのときはカメラを回さなかった。こちらが質問するべき内容を用意できなかったからだ。実のあるインタビューをするためには、私自身がまず現場を事前に取材し、何が問題で、何を聞き出さなければならないか、をきちんと把握しておく必要があった。そのために、この日記でも報告したように、ジェリコ市とベドゥインの村、ジフトゥリック村という農村、そしてユダヤ人入植地と、ヨルダン渓谷を3度にわたって取材した。その結果、JICAプロジェクトの最高責任者である成瀬氏にどうしても聞いてみたいいくつかの疑問も出来てきた。

 成瀬猛氏にまず、その経歴を訊いた。
 成瀬氏の中近東との関わりは長い。1977年にシリアへ土木関係の海外協力隊員として赴任、3年を過ごした。アラビア語はそのとき身につけた。その後、80年から民間企業の駐在員として1年近くをイラクに滞在した。イラン・イラク戦争の最中で、バクダッドで空襲も体験した。その中東体験を買われJICAに入ったのは82年。その直後から3年間、エジプトに赴任し、農業プロジェクトを担当した。その後、バクグラデッシュとケニアにそれぞれ3年間ずつ勤務、パレスチナ事務所の所長の辞令が下ったのは2001年7月である。JICAのパレスチナ事務所は98年に開設させたが、当時はまだ日本へパレスチナ人を研修に送り出す仕事が中心だった。成瀬氏には長い中東体験の中で、「パレスチナ問題こそ中東和平の原点である」という思いがあった。JICAは単に研修生を送り出すだけではなく、JICAが蓄積してきたネットワークを駆使して、中東地域を巻き込み、その中東和平のための“プラットホーム(枠組み)”を作れないか。そのためにはまずパレスチナの現場をきちんと見ておく必要があった。しかし、当時、第2次インティファーダの真っ只中、外務省もJICA本部も、成瀬氏がガザ地区やヨルダン川西岸に入ることを容易に認めなかった。人々の中に入らなければJICAの実のあるプロジェクトはできないと焦る成瀬氏は、JICA本部とぶつかり、結局、1年後に東京に引き上げることになった。
 その後、日本政府のアラブ外交見直しのために派遣されることになった「小泉官邸ミッション」に参加。団長の岡本首席補佐官(当時)の抜擢だった。その「官邸ミッション」の要請もあり、JICAは再びパレスチナに日本人スタッフを送ることになった。成瀬氏は真っ先に手を挙げた。再度、パレスチナ事務所に赴任するに当たって成瀬氏はJICA本部に条件を出した。「ガザ地区、ヨルダン川西岸を自由に移動させてほしい。そのためにJICAに防弾車を買ってほしい」と。やがて2台の防弾車が届き、1年後には企画調査員としてもう1人、日本人スタッフが送られてきた。成瀬氏はその若いスタッフと共に防弾車に乗って、ガザ・西岸各地を訪ね回り、住民の話を聞きながら、今の段階でJICAはどんな技術協力プロジェクトが可能かを模索した。

 「大きなことをいきなりやるよりは、地道でもいいから、コミュニティーの中に入っていくことが重要です。そのためには専門家でもコンサルタントでも、日本人を現地に入れなければいけない。日本人の顔を見せながら仕事をする。コミュニティーの人たちを巻き込んでいく。彼らに直接、希望を与えていく。やる気を出させる。今の状況は決してよくなけれども、建設的な方向へ導いていかなければいけない。そういう仕事をやりたいということで技術協力プロジェクトを考えたんです。母子保健とゴミ処理、そして地方自治対策、そして経済の底上げの4プロジェクトです」
 なぜ、その4プロジェクトなのか。
 「日本の外務省がパレスチナ復興支援のために掲げていた政府の方針が人道支援、信頼醸成、経済の底上げ、ガバナンス(行政の組織と体制作り)の4つでした。その方針は、世界的な枠組みが機能していて、その一角として日本はどういう部分にフォーカスしていくかというところで、外交政策が建てられた。その日本政府の方針の範囲内の中で拾えるものが母子保健など4つのプロジェクトだったんです」

 4月初旬、私はヨルダン渓谷の街ジェリコで、JICAプロジェクトに対する住民の反応を聞いてまわった。ジャーナリストで地域研究の専門家として大学でも教鞭を取っているというある地元の男性は、こう痛烈に批判した。
 「始まって2年以上になるというが、セミナーや会議、昼食会、ワークショップなどが行われていることは新聞などで報道されているだけだ。そのプロジェクトの性格はわかった。でも、それをやって見せてほしい、この2年近く実際、何をやってきたか、その成果を見せてほしい。我われが目にするのは、彼らがここへ見せびらかすためにやってきて、楽しい時間を過ごしていることだけです。地元の新聞を見れば、同胞たちがこの地区で何に苦しんでいるか、その不満がわかるはずです。彼らは交通のための道路、それはバイパス道路のようなものではなく、村や町の中の道路です。また地方自治体は予算も不足している。JICAはなぜ地方自治体の議会議員の幹部たちばかりを招待するのか。彼らがプロジェクトのための専門家とでもいうのですか。
 パレスチナ人への支援が外から来るとき、その支援は“盗賊たち”の間にばらまかれてしまいます。その支援はいつも、『イスラエルとの関係の正常化、平和共存』のスローガンを掲げてやってきます。私にはそれが『パレスチナ人とイスラエルとの平和共存』なのかまたは『恩恵を受けるパレスチナの“エリート”階級とイスラエルとの平和共存』を意味するのかわかりません。とにかく私たちが聞いていることは、実際目にすることとはまったく違うのです。これが私たち普通の住民たちを混乱させ、日本やフィンランド、スペイン、ノルウェーなどあらゆる国々に対する信頼を失わせているのです」
 この男性は30分ほど延々と不満と怒りをまくしたてた。

 成瀬氏にこのパレスチナ人ジャーナリストの疑問をかいつまんで説明し、それに対する答えを求めた。私自身の主観や、聞き間違いを避けるために、テープを忠実に起して整理した。その成瀬氏の答えは以下のようなものだった。
 「彼の批判は、一方で当たっていて、一方で間違っている。もちろん今の経済の困窮の状態を考えれば、それを改善するために大きなインフラ、水や電気をやってあげる、それはそれで喜ばれる話でしょう。しかし日本側の事情として、いままではすごく治安が悪くて、外務省もJICA本部からは『事業をやっても持続させることができるのか』と見られていた。そういうところで何十億円もかかるインフラをやりましょうと働きかけて、誰が真剣に聞いてくれますか。まず誰もがネガティブに見ている場所に先駆的に入って、まず第一歩を踏み出すためには、妥当な規模のものから手を付けるしかやりようがない。でも一歩を踏み出すことで、その効果や成功談ができれば、必ずみんながふり返る。そしたら何かいいことができるのではないかと。そういうステップを踏まない限り、そういう大きな投入は当時のパレスチナの状況を考えれば、できるわけがなかった。
 もう1つは強調したいのは、我われが最終的に目標としているのは、まさに信頼醸成であり、中東和平なんです。それはモノを与えることによってだけではできない。当事者が建設的にそのこと自体に関わっていくというような姿勢を作っていかない限りできない。ポジティブに関わって、隣人との共存、和解という前向きな姿勢になっていくしかない。
 でも我われが事業を始めたときには、インティファーダもひどい状況で、憎悪が憎悪を呼ぶような状況だった。そういう状況を変えていくにはモノではないんですよ。私の長いJICAの経験から言えば、モノではなくて人間同士のぶつかり合いしか、それを成し遂げられるものはない。それは日本人、職員や専門家やコンサルタントがこの地域に情熱を持ってやってやろうという人間を送りこんで、その人たちがコミュニティーの中で小さなことでもいいから、いっしょにやろうじゃないかという、仕事を通じてそういう機運を少しずつ盛り上げていくしか、絶対にできない。JICAのやっていることは目に見えるものができてこないとその人は言うかもしれない。でも、私は目に見えない大きなものができていると反論したい。目に見えないものとは何かといえば、社会の中にあるコミュニティーそのものの感じ方、考え方、コミュニティーを形成する人たちが、日本がやろうとしている姿勢をどう受け止めているのか、それだと思いますよ。それがこの2、3年のうちに、目には見えないかもしれないが大きな成果だとすれば、『平和と繁栄の回廊』、ここには大きなインフラが伴ってくる可能性がある。それを彼らがポジティブに受け入れることができる。自分たちもその中に参画するんだという意識を持って、いっしょに働いてくれることができる。そういう状況が出来上がってきていると思うんです。だからこの2、3年に地道にやってきたことが、果たして目に見えるものがどれだけ残ってきたかということはあるかもしれない。でも私は意味は十分あったと思う。
 例えば母子健康手帳を導入しようと思っている。あれはそれこそ、大きなインフラではない。でも、パレスチナのお母さんたちからは、『これは私たちのパスポートなのね』っていうふうに言ってくれている。これはパレスチナ人の中に新たなアイデンティティーを持たせる大きな刺激になったと思う。
 ゴミの話もそうです。当初はほんとうに行政頼みだったのを、自分たちの手で『JCspd』という、日本で言えば第3セクターみたいのを作って、それが行政サービスを提供できる第3セクターというかたちで、今機能し始めている。まだ完全に持続性が確保できたとはいえない。やっとヨチヨチ歩きし始めたぐらいだけど、これはとても大きいと思いますよ。今までは与えられるものを待っていただけだったけど、自分たちが努力して、自分たちの中でゴミ収集の料金ももらいながら、じゃあ、新たなサービスを提供しましょうという新たな枠組みができたんです。
 これはひょっとしたら将来的には、ゴミだけのサービスだけではなく、いろんな行政サービスを地元民のコミュニティーが行政に代わって提供できるようになる。もしこれができるようになれば、行政コストを大幅に変えること、つまり軽減することができる。すべてを外国からの援助に頼っているPAの財政負担を軽減できるようになっていく。短期的にはそんなに簡単なものではないかもしれないが、でもPAが、パレスチナが独立国家になっていったらやらざるを得ないんです。いつまでも『もらって、それを消費する』だけの国のままでいいんですか。そういうわけではないわけでしょう? そういうものは、目には見えないかもしれないが、これも基本的な“インフラ”です。それを作っていくというのが非常に大事ではないですか。それをJICAがやっているわけです」

 成瀬氏が力説する「ひどい状況を変えていくにはモノではないんですよ。私の長いJICAの経験から言えば、モノではなくて人間同士のぶつかり合いしか、それを成し遂げられるものはない」という言葉に、私に違和感を覚えた。エジプトやヨルダンのように政情や社会状況がいくらか落ち着いている国なら、そういう“人間同士のぶつかり合い”も意味を持つだろう。しかし、今のパレスチナ人のようにイスラエルの“占領”下で政治的・社会的そして何よりも経済的に瀕死の状況に置かれている住民たちは「人間同士のぶつかり合い」が解決の道に繋がると説得されても、はたして彼らは「なるほど」と納得するだろうか。パレスチナ人が置かれている現実、社会状況は「人間同士のぶつかりあい」などではどうにもならない “政治・社会・経済の構造の問題”であり、そういう個人また集団レベルの話とはあまりにも次元の違う問題ではないかと私には思えてならないのだ。別の言い方をすれば、あまりにも“日本人的発想”で、ナイーブ過ぎないか。私はそれほどストレートではない、もう少し柔らかい表現で、そんな私の疑問を正直にぶつけてみた。成瀬氏はこう答えた。

 「私もシリア、イラク、エジプトと、ずっと中近東一筋でもう十何年、アラブに関わっている。そういう経験を背景に言わせてもらえば、パレスチナ人のメンタリティーは、エジプトやシリアよりももっと日本人を受け入れる素地はあると思う。これだけ酷い目にあいながら、やってきている。日本が第2次世界大戦、ヒロシマ・ナガサキの原爆で大勢の女性や子どもも含めて亡くなった、そういうものに共感をするものを彼らはもっている。だから私は日本人が、正面切って、いろいろなことを言うことをパレスチナ人はあえて、日本人だからと言って、受け入れてくれるような部分さえあると思う。それは日本人にとってはすごく大きなメリットなんですよ。それはほんとうにコミュニティーから、内面から変えていかなければならないと思ったときに、すごい大きな日本の有利な点なんです。それができるのは、いろいろな援助国が数あるなかで、日本しかないよ。私はそれをパレスチナで、もっと広く浸透させてやっていきたいと思う。だから少しずつ、積み上げてきた。この対パレスチナの技術協力を始めて約3年ですよ。でもここまでやれるようになった、これだけの投入ができるようになった、私は、これはすごい成果だと思っていて、これをテコにして、協力隊も入れたいし、もっと日本の専門家やコンサルタントに来てももらいたいと思っている。それが日本政府が提供する無償資金協力や、それこそ大きなインフラものと合体したら、ものすごく大きなインパクトを生むことができると思う。たぶんこの2、3年のうちに、それが目に見えてできるようになってくると思う。その蓄積、基盤のために今まで時間がかかったが、地道にやってきたと私は評価している。
 勝負はこれからですよ。『平和と繁栄の回廊』が国の外交政策として位置づけられましたから、日本政府もいろいろな投入をさらに提供できるようになると思う。まさに“生きる基盤”を造ったというところに、僕は、JICAがこの3年間にやってきたことは、ものすごく、いい仕事をしたのではないかと思っています」

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