2007年4月25日(水)
JICAパレスチナ事務所長へのインタビュー(2)
JICAプロジェクトの1つ、“農産加工団地”の構想について、4月10日の「日々の雑感」に私はこう書いた。
「現地を取材してみて、私もこの計画は、今のヨルダン渓谷の住民、とりわけ農民たちにとって、最も現実的で、有効な援助の1つのように思える。『そんなのは“対処療法”に過ぎない。何よりも、占領を終結させなければ。そのためにこそ日本政府は動くべきで、そんな小手先の援助でごまかすべきではない』という声があるかもしれない。たしかに占領を終結させなければ、最終解決にはならない。正論だ。しかし占領がすぐに終結させることが難しい現状の中で、何が今いちばん住民に必要なのかを考えると、まずは、現地のパレスチナ人住民がユダヤ人入植地に依存せずに生活できる環境を作ることだ。そのためには、農業とそれに付随する工業がもっとも現実的だ。
もし成瀬氏が語るように、パレスチナ人住民の収益増加にほんとうに寄与できる計画が実現すれば、何よりも住民がいちばん恩恵を受けることになる」
しかし、この構想には大きな壁がある。パレスチナ人住民がこれまでに入植地の経済活動に従属するしかなかった現状から、住民が経済的に独立するための構想を実現しようとするとき、ヨルダン渓谷を実質的に支配するイスラエルが果たしてそれを許すか、という重大な問題が立ちはだかっているのだ。入植地ルポの中で紹介したように、入植地の経済活動を維持するには、パレスチナ人住民という“安い労働力”が不可欠だ。もしパレスチナ人住民が“農産加工団地”によって独立できる経済状況を確立したら、いちばん困るのは入植者たちである。つまり彼らにとってこのプロジェクトは“共通の利益”とはならないのである。そんなJICAプロジェクトをイスラエルが黙認するだろうか、むしろあらゆる手段を使って妨害するにちがいない──私が“農産加工団地”の利点を説明したとき、現地NGOのスタッフは、その点を真っ先に指摘した。
私はこの核心の問題を成瀬氏に問うた。
「率直に申し上げれば、この先、ハードルはいっぱいあると思っている。でも陸上のハードル競争だって、ゴールするまでには十何個のハードルを1つずつ越えていくしかないですよね。1つ目のハードルも飛び越せないんだったら、ゴールまでの十幾つのハードルなんて当然のことながら、1つも飛び越えられない。だから1つ目のハードル、2つ目のハードルでもいいから、飛び越えていきましょう、と。今、日本政府がやろうとしていること、例えば“工業団地”を造る、そのためにもたぶんいくつものハードルを越えなければいけない。移動制限とか、物資輸送のための国境管理をどうするのか、輸送するものの治安はどう図るかとか、です。
でも『平和と繁栄の回廊』という大きな“プラットホーム”(枠組み)を、パレスチナ側は短期的な経済復興に役に立つと感じてくれている。イスラエル側はイスラエル側で、ひょっとしたらこのプラットホームが対アラブとの外交関係を円滑するために使えるかもしれない。ヨルダンはヨルダンで、地政学的なその位置づけを将来のために生かせるかもしれない。ヨルダンはイスラエルに対してもものが言える存在だし、パレスチナに対してもものが言える存在です。そういうものが全体的にこのプラットホームの中で議論されていけば、私は想定される障害に関しても、少なくとも前向きな話し合いはできると思う。
今、プラットホームがない中で話し合いをしようと思っても、一番強いところの原理がまかり通る世界ですよ。イスラエルが『セキュリティー』と言ってしまえば、もう何も解決しない。だけど、今のようなプラットホームが少なくとも多くの人間にシェアされて、政策に携わる人間にもシェアされて、国際社会も注目するようになっていけば、私は少なくとも前向きな話し合いはできていく可能性は大いにあると思う。それを日本が推進できれば、日本が世界にアピールできる平和外交として本当に胸を張って言えると思う。これには外務省も当然、汗をかかなければいけないと思いますよ。JICAはそのために、そのプラットホームの上で、具体的なテーマになるような共通の利害を提供することに注力しようと思う。
たとえば“工業団地”の話1つとってみても、それは一義的にパレスチナに利益になるでしょう。その“工業団地”はかつてのガザの工業団地のように、イスラエルが所有権を持ち、パレスチナ人は安い労働力の供給するという形態ではない。それでは我われが意図しているプロジェクトは、目的を達成できない。あくまでもパレスチナ人の、パレスチナ人のための“工業団地”、“農産加工団地”でなければならない。これは基本的な“哲学”です。だから所有権も当然、パレスチナ人が持つものでなければならない。その新たにできる“工業団地”に、ビジネスのパートナーシップとして、パレスチナ以外の資本が入ってくることは、パレスチナ側が所有権を握っていて、その範囲内で『よし』といえばいい話です。日本側が『ああしなさい。こうしなさない』という話ではない。しかしいちばん重要な部分、所有権はパレスチナ人が確保するという部分はなんといっても重要です。
そのような“工業団地”“農産加工団地”ができれば、今まで入植者の人たちに安い値段で売っていた、またはそこで働いていた人が、“工業団地”に来て、就業の機会を得ることができる。パレスチナの生産者が自分の願っているような値段で買い取ってもらえるかもしれない。一義的にはパレスチナのためになる話です。
ではイスラエルはどうか。正直言って、その段階でイスラエルにとっての大きなメリットは、私は提示できません。だけども、その先の展開を見れば、イスラエルにとって、もっと大きなメリットはある、そう考えることはできるかもしれない。この部分は私の単なる夢想、夢物語かもしれないけど、イスラエルが国家の安全保障、アラブとの外交の円滑化を考えてヨルダン渓谷をパレスチナの領土としてひょっとして返還したとき、その中の入植者はどうなるか。出ていくというのも1つの選択肢かもしれない。それはイスラエル側が考える話で、十分な補償と代替地を与えれば、経済的な目的で入っている人たちはそれで出るかもしれない。でも逆に、パレスチナとの話し合いで、いろいろな途上国で見られるように“輸出加工区”のようになることも考えられる。そこには何らかの特権が与えられているが、その代わりその国の労働者に就労の機会を与えて、その国に税金のように納めるものは払って、両者共存というのも成り立っている。そのように、パレスチナ領土となったヨルダン渓谷の中で継続して入植者らの産業活動が継続して行われるために、両者の間で合意事項ができればいいわけでしょう。借地する、お金を払う、当然、税金も払う、労働者も当然受け入れてあげる、そういう両方が納得する関係ができれば、ひょっとしたら残るという入植地が残るという選択肢もあるかもしれない。それは両者がお互いに利益が享受できるというプラットホームの中での話し合いを続けていく中で、話をしていけばいいわけでしょ。
日本はプラットホームを造ったけど、何かをしなさいと強要する立場ではない。プラットホームを利用してくださいと言っているわけです。利用するのは当事者であるわけですから。そのプラットホームの上で、より具体的なテーマがあったほうが話はしやすいというのであれば、たとえば工業団地、農業開発、観光振興の話など、みんなが利害を享受できるようなテーマを提供してあげましょうというのです。
私は、東京での4者会議で話をする機会があったときも、日本は『ピース・ビルダー(平和の建設者)』でもあり、『プラットホーム・ビルダー(枠組みの建設者)』だと言った。そのプラットホームをどのように使うかはまさに当事者の人たちの問題ですと」
では、いつごろをメドに、その農産加工団地は実現するのだろうか。
「今やっている農産加工団地のための調査は、先につなげていくために、だらだらと長く時間をかけるようなことはまったく思ってはいない。今、工業団地の候補地といわれているものがすでに何箇所か浮かんでいる。その工業団地の所有者はあくまでもパレスチナ人で、候補地の1つはトゥバス、あと2箇所ほど候補にあがっているのはジェリコの界隈です。今は調査団がその比較検討材料をいろいろ集めていて、この6月前後ぐらいに、最終的な候補地としてどこがいいのかというのを4者協議、その第1回を東京でやったけど、日本、パレスチナ、イスラエル、ヨルダンの4者協議で最終的な候補地を決める予定です。当然、候補地が決まれば、その候補地を生かすためのいろいろな種々の問題、移動制限の問題、国境管理の話だとか、労働者の移動の話だとか。そういうのは付帯している検討項目として、同時並行的に枠組みの中で検討されていくことになります」
それにしても、イスラエル側にこのJICAのプロジェクトを「自国のメリットにもなる」と説得するのは容易ではないだろう。成瀬氏はこう言う。
「日本での4者会議で発言の機会があったとき、私はこう言ったんです。『このメリットはmulti-dimentional(マルチ次元的)であり、single-dimentional(単一次元的)ではありません。つまり、時系列的にすぐに発生するものもあれば、中長期的に発生するものもあります。経済的なメリットもあれば、政治的なメリットもある。地政学的なメリットもある。だから経済だけという単一次元のものではありません、マルチ次元のものです』と。例えばイスラエルにとってみれば、これがきっかけになってアラブ外交を健全化していくための切り口になるかもしれない。そういうところにイスラエルがメリットを見出せれば、目に見えるパレスチナの緊急経済復興と同次元のものではないメリットとして受け入れられるのではないかと思うんです。それはまさにプラットホームの中で対話をしていくしかない」
このプロジェクトを実際、イスラエル側にぶつけてみたことがあるのだろうか。
「ありますよ。結構多くの人にはぶつけていますよ。あえて、そういうことにネガティブで聞く耳を持たない人たちのところに行きません。かえって変な話になるだけだから。でもイスラエル外務省とかトルーマン研究所とか、あるいはイスラエルの農業省とか、ペレスセンターとか、そういうところとは具体的な話、前向きな話をさせてもらっていて、彼らからも前向きな感触を私は受けています。
少なくともイスラエルの中の心ある人たちは『パレスチナに健全な経済をもたらさなければイスラエルそのものも安定しない』と思っているわけですよ。それはアラブ外交を健全化させるということにも当然、繋がる。イスラエルの有識者でまっとうな考えを持っている人たちはわかっているわけですよ。わかっている人たちをオピニオン・リーダーとしてより対話のサークルを大きくしていくというのは重要なアプローチだと思う」
イスラエルの左派が理解を示すのはわかるが、残念ながら、現在、「イスラエル左派」にはイスラエル政治を動かす力はない。実際にイスラエル政治の実権を握る主流派は右派または中間派である。成瀬氏の先の説明で、そのイスラエル政治の主流派を動かせるのだろうか。
「それだけでは必要十分条件は満たされないかもしれない。では水の問題はどうするのか、という話は確かにある。でも私が築いてきたイスラエルの中のネットワークを通してイスラエル側、少なくとも左派系、心ある人たちから、こんな話が聞こえてきます。
現在、イスラエルは海水の淡水化の技術にものすごく注力して、アシュケロンにその淡水化工場を造った。それは、『いつまでも水問題に起因する紛争要因をほっておいてはいけない』という考えがあるからですよね。
それに最近注目されている『レッド・デッド』(紅海・死海プロジェクト)も、死海の保全という目的の他に、そのエネルギーを使って海水を大量に淡水化することができる。それは水需要に新たな改革をもたらすわけです。その水は地域のプラットホームの中で、お互いの利益になれば、ヨルダンにも、パレスチナにも、イスラエルにも供給されるという話にもなる。
またイスラエルは自助努力として、下水の再利用もものすごくやってきているし、農業の営む上での節水農業の技術も相当進化させてきた。そういうものが隣人、たとえばパレスチナ、ヨルダン、シリアなどに普及していけば、総合的に地域のメリットになる。そういうことを考えていけば、つまり、いい方向へパズルを組み合わせていけば、私はこの地域全体がいい方向へ向かう可能性というのはあると思うんです。要するに、パズルのはめ方次第で、いい方向にも悪い方向にもいってしまうんです」
2時間近いインタビューだった。成瀬氏の説明で、私が抱いていた疑問が解き明かされたわけではない。「これまでのプロジェクトは実にうまくいっている」という成瀬氏の自己評価も、私が現地で取材した地元住民の反応・評価とは少なからずズレがある。それは理念と現実とのズレかもしれないし、想定するタイム・テーブルの認識の違い(性急に“結果”を求める地元住民と「日本政府の政策と調整を取りながら、1つずつステップを踏んで」と考える実施者側との意識の違い)かもしれない。
ただインタビューを終えて言えることが1つある。成瀬氏は私のきつい質問から逃げなかった。誠意をもって懸命に答えようとした。この人の“本気さ”は信じてもいいと思った。
昨年秋、私はこの問題についてJICA本部で中東部門のスタッフと広報担当官に、「イスラエルの厳しい占領下にあるヨルダン渓谷での『平和と繁栄の回廊』というプロジェクトは現実性に乏しく、税金の無駄遣いになりはしないか」と質問した。すると広報担当官は、「これは外務省が作った案ですから、外務省に聞いてほしい」と逃げようとした。“現場”を持たない外務省が、これほど具体的なプロジェクトを構想できるわけがない。現地に事務所を持つJICAがその草案を作り、それを外務省が採用したというのは、ちょっと考えれば誰にでも察しがつくことだ。「責任逃れ」をしようとするスタッフに、「JICAは何か隠そうとしている」と私は疑った。そして、直接問いただしてみる必要がある現地責任者のパレスチナ事務所所長も、広報担当官と同様、“事なかれ主義の役人”かもしれないと予想していた。
しかし3月、成瀬氏に初めてあったとき、私が予想していたイメージとはずいぶん違うので、最初ちょっと面食らった。長年、中東やアフリカの現場でたたき上げてきた人物だけに、「聞きたいことがあれば、何でも聞いてくれ。俺が信念をもって、身体を張ってやっている仕事なのだから」と腹が据わっている。「これは、こちらもきちんと取材し準備してかからないと、逆に論破されるぞ」と私は気を引き締めた。
成瀬氏の話を聞いてまず感じたのは、「占領の実態に対する現状認識が甘いのでは?」という疑問である。「パレスチナ人の状況を改善し、中東の和平をめざすこのプロジェクトは私のライフワーク」と成瀬氏は言う。しかし、その「熱い思い」があまりに情緒的過ぎるのが気になるのだ。その「熱い思い」がイスラエル・パレスチナ問題の生き馬の目を抜くような過酷な政治現実を前に、上滑りし、空回りしてしまうのではないか、という危うさである。
ただ一方、ヨルダン渓谷におけるパレスチナ人住民の現状、ユダヤ人入植地の実態など現場の情報もほとんどなく、またJICAプロジェクトの経緯も実態も十分把握せずに、「JICAプロジェクトはイスラエル占領に加担するだけだ」という批判も、あまり説得力はない。それでは、実際、厚い“占領者・イスラエルの壁”にぶち当たり、それにどうやって風穴を開けていくのかと現場で悪戦苦闘している責任者の成瀬氏に太刀打ちできないだろう。またそのような批判だけでは、現地のパレスチナ人住民にとって何らかのプラスになるとも思えない。このまま何もしなければ、住民たちがユダヤ人入植地に従属しなければ生きていけない現状はますます進行し、政治・社会・経済においる占領体制はいっそう固定化してしまうからである。
これから“農産加工団地”の実現に向けて動き出そうとする今の段階で、私は「JICAプロジェクトは無意味で無駄だ」と言いきる根拠を持たない。もし私が「無駄だ」と断言し、現地住民や成瀬氏に「では、現地のパレスチナ人住民の生活や政治・社会状況を改善するための、あなたの代替案は何ですか」と問われたら、私は答えられないのだ。
繰り返すが、私の判断基準はただ1つ、「パレスチナ人住民の状況がよくなるかどうか」である。そのために私はジャーナリストとして、JICAプロジェクトを“監視”し続けるし、もしそれが住民の状況を好転させる1歩になると判断できたら、協力してもいいとさえ思っている。しかし、そうならず、当初の狙いとは裏腹に、結局は現地を支配するイスラエルにからめ取られるだけと判断したら、私はそのことを率直に指摘し、このJICAプロジェクトを厳しく批判する。それは、パレスチナ人住民にプラスにならないからだけではない。このプロジェクトは一個人の夢の実現のために私財を投じてなされる事業ではなく、私たち国民の税金を使って行われる“公的なプロジェクト”だからである。
読者の中には、成瀬氏の言葉や私の見方に疑問や反論を持つ人も少なくないだろう。そういう意見を私のアドレスにどんどん送っていただきたい。そしてそういう疑問に対し、成瀬氏や私がこの「日々の雑感」の“紙面”上で答えていく、それにまた反論と疑問がくる・・・。このコラム欄がそういう“議論の場”になればと願っている。
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