2007年4月26日(木)
バラータ難民キャンプの子どもたちに劇場を
3週間ほど前、5年ぶりに訪ねたバラータ難民キャンプを再訪した。(関連記事:5年ぶりのバラータ難民キャンプ再訪)前回、撮影できなかったモハマドの仕事の様子を撮影するためである。モハマドは身体障害児センターでの仕事を紹介するために、バラータの子どもたちも参加している合宿センターへ私を案内した。その施設は、バラータから東へ30分ほど走ったファラハ難民キャンプの郊外にあった。その建物は、オスロ合意前まではイスラエル軍が管理する刑務所だった。パレスチナ人側に返還されたのち、スウェーデンの援助で改造され、青少年のための文化・スポーツのセンターとなった。この日は、西岸各地から知的障害の子どもや大人たち、それに混じって健常者の子どもたちも加わり、合宿セミナーが行われていた。モハマドがそのセンターに入ると、知的障害者の大人たちが喜びの表情を顔いっぱいに表し、駆け寄ってきた。笑顔のモハマドが彼らを一人一人抱きしめ、両頬にキスをするあいさつを交わす。障害者たちはモハマドとの再会がうれしくてたまらない様子だ。バラータからやってきた健常者の少女たちをみつけると、抱きかかえ、ここでの生活はどうか優しく語りかける。
5年前、仕事もなく、友人たちとの雑談やトランプ遊びで時間を潰していたモハマド。そんな彼しか知らなかった私は、モハマドのこんな生き生きした姿を初めてみた。
「今の僕にはこの仕事はとても大切なんだ。子どもたちのために支援できる。これが僕をとても幸せな気持ちにさせてくれる。この仕事が好きなんだ。この仕事のプロとしての基礎を築くために、自分でもっと勉強したいし、もっと忍耐力も身につけたい。子どもたちの気持ちを理解するために心理学も学びたいし、彼らの家族のためのワークショップを開きたい。この仕事のためにたくさんのことを学ばなければいけなんだ。
もしバラータ難民キャンプに劇場が完成したら、どれほど多くの子どもたちが映画を見たり、音楽を聴いたり、ダプカ(パレスチナの民族舞踊)を楽しんだりできることだろう。どこかの援助でこの劇場が完成したら、僕は子供たちの生活を変えたいんだ。あのファラハのキャンプで知的障害の子どもたちがときどき歌っているんだよ。だれか彼らにきちんと音楽を教える人が出てくればいいなあ。難しいけど、きっとできるはずだよ。障害児も健常者の子どもたちもいっしょに、この劇場でダプカを楽しみ、演劇も、音楽会も楽しむ、これが僕の夢なんだ。
この子どもたちは知能はあまり高くないかもしれない。でもとっても人を愛する心をもっているんだ。知能が十分でない赤ちゃんのようなところがある。優しい言葉をかけると、僕らのことをとても好きになってくれる。すばらしい子どもたちだよ」
モハマドが目を輝かして私にそう語る。
200万円か300万円もあれば、あの劇場は完成できるかもしれない。日本で寄金を募れば、それほど集めるのに大変な金額でもない。中には「その夢と志を買おうじゃないか。パレスチナの子どもたちのそんな夢のためなら、使ってくれ」と大金をポンと差し出す篤志家もいるかもしれない。それによって、バラータ難民キャンプからだけでなく、近隣の町や村から集まってくる障害児や健常者の子どもたちが、初めて見聞きする舞台のダプカや音楽、映画に目を輝かせ、暗い社会の中で忘れかけている、はちきれんばかりの笑顔をひと時でも取り戻せるとしたら、・・・・、そんな光景を想像するだけで、胸が熱くなる。
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