2007年4月27日(金)
バラータのある青年が語る“大切なもの”
モハマドの親友で、名門ナジャハ大学卒の青年シャーディ(29歳)は、現在、公立学校の教師をしながら、母校で修士課程の勉強も続けている。
3週間前、彼は私に、去年1ヵ月半ほどアメリカを訪ねたときの感想を、「アメリカには自由も豊かさもある。しかし『ここは自分の居場所ではない』ってわかったんだ。ひどい所だけど、やっぱり自分の居場所はバラータだってつくづく思ったよ」と語った。それはどういうことなのか、そして何がそう感じさせるのか──私は改めて彼にその問いをぶつけてみた。
「たしかにアメリカには自由も素晴らしい生活もあり、金も稼げる。しかしアメリカに留まることは僕の夢じゃあない。やはり、僕はこのパレスチナという地と深く結びついていると感じるんだ。たしかにここはひどい状況だし、安全でもない。しかしここで暮らしていると何かを感じるんだ。それをうまく表現できないんだけどね。でも例えば、あなたが日本を長年離れているとき、最後はやはり日本へ戻らなければと感じるはずだよ。そう思わせるのは“家族”かもしれない。とにかく自分の“ルーツ”がここにあるんだよ。それは消すことはできない。家族がいて、友人がいて、思い出のすべてがここにある。ここで生まれ、大きくなった。僕の生活のすべてがここにあるんだ。
将来、他の国に出ることがあるかもしれない。たとえここの状況がよくなっても、他国へ出てみたいという夢は僕のなかにずっとあるんだ。しかしそれはお金を稼ぐため、勉強を続けるためであり、その外国にずっと死ぬまで暮そうなんて思わない。外国でたとえ長く暮すことがあっても、最後には戻ってこなければならないんだ。
生まれて以来、やはりこのパレスチナの地が好きなんだ。この“祖国愛”を誰も奪うことはできない。アメリカは緑も豊かで美しい国だと思う。この難民キャンプとアメリカとを比較しようとしても、まったく比較にならない。それは豊かなアラブ首長国のドバイと内紛の続くソマリアを比べるようなものだ。それでもアメリカでは仕事や勉強はしたいが、他のことに惹かれたりしないんだ。この難民キャンプでは、僕はあらゆることに愛着と愛情を抱く。たしかにアメリカでも『友人』はたくさん作れるだろう。『ハイ! ハワユー?(やあ、元気かい?)』と声を掛け合う。しかし人はそれぞれがばらばらなんだ。自分は“番号”の1つとしか感じられない。『番号350』という具合に。まったく他との“関係性”が持てずに、ただ「ハイ!」「ハイ!」と声をかけるだけなんだ。
しかし、ここではすべてが僕にとって大切なものなんだ。自分の“くに”だから。自分がここに生きている限り、どんな小さなことでも自分には大切なんだよ。もし自分が病気になったら、すぐに私の周りに家族や友だちが集まってくる。そして僕の苦しみや気持ちを感じとろうとする。
毎朝、おふくろが『今日どうするの? どこへ行くの?』と僕に訊く。帰りが遅くなると、心配して電話をしてくる。兄弟がいて、友人がいて、隣人たちがいる。アメリカにはそういうのはない。アメリカでは人間関係は“ビジネス”によって結びついている。しかし、ここでは生まれたそのときから深い人間関係が生まれているんだよ。
たしかにバラータ難民キャンプはひどい状況だ。でも、だからといって、僕らはどうすればいい? ここから逃げることで解決するだろうか──そう自分に問いかけるんだ。パレスチナから他の国に逃げれば、自分の問題は解決するんだろうか、とね。おそらくここに残ってもすべての問題は解決できないかもしれない。しかし逃げても、問題は解決されないんだよ。自分の全人生を通しても、自分の問題は解決できない。一方、僕らがここから逃げることこそ、ユダヤ人が狙っていることなんだ。
いずれにしろ僕らは選択しなければならない。ここに留まり、ここのすべてを受け入れるか。ここで生き続けていくには、どんなことに直面しようがそれを受け入れなければならない。
もう1つはここから逃げることだ。好きな国のどこへでも。僕は何度か逃げようとした。しかし逃げることは解決にはならないんだ。
どうしてこの状況に耐えられるのかって? 僕は耐えてはいるわけじゃないんだよ。自分には“小さな希望”があるんだ。だからこそ自分はここに留まっている。それは『将来、きっとよくなる』という希望だよ。いつも、『なんてひどい状況なんだ』と思う。『自分はまっとうな生活がほしい。この国を脱出したい。ここではユダヤ人もパレスチナ人も結局地獄へ行く』とね。その一方で、『いや、ここは自分の“くに”なんだ。ここに留まるべきなんだ。自分には希望もあるではないか。いつかはいい状況になり、いい“くに”になるはずだ』と思いなおす。この2つの思いの葛藤で、気が狂いそうになる。ときには一方の思いが大きくなり、ときにはもう一方の思いが強くなる。そして結局、出ていくことは解決ではないと思いなおす。ここで僕の人生をみつけなければならない、とね。僕はここで惨めな人生を送るために生まれたんじゃないんだ。
僕たちに忍耐があるとすれば、それは僕たちの生き方に与えられた1つの“性格”かもしれない。生まれたそのときから、僕らは家族に『この状況に耐えなければならない』と教えられてきた。『ここに留まり続けることは、イスラエルへの“挑戦”なのだ』とね。『あなたにとって何がいちばん大切か』って? そうだな。まあ、すべてに“程度”というものがあるからね。僕は『お金がいちばん大事だ』とは思わない。でもお金は大事なことは間違いない。『金のない家族』は惨めなものだからね(笑い)。もし日本で月給2000ドルの仕事があると言われれば、もちろん僕は行くよ(笑い)。日本に10年ほど留まることはまったく問題はないよ。だからすべてに程度というのがある。お金も大切だし、“くに”も大切だし・・・。しかし敢えて言うなら、“家族”こそが僕にとっていちばん大切なものだろうね。
将来の“夢”? そうだな、僕は博士号を取りたい。しかし今は金を稼ぎ貯めなければならない。とにかく、自分の将来を築くためにも、今はある程度の金が必要なんだ。人生は、思い通りには進まない。博士号を取る夢も、貯まるお金次第だし、状況次第だろうね」
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