Webコラム

日々の雑感 252:
ETV特集『幸徳秋水と堺利彦』が突き付けるもの

2012年2月6日(月)

 幸徳秋水と堺利彦──日本の社会主義運動の創世記を代表するこの2人の生き方と思想を、1月29日のNHK・ETV特集『日本人は何を考えてきたのか/第4回 非戦と平等を求めて 幸徳秋水と堺利彦』が真正面から捉え、伝えた。これまでタブー視されてきた「大逆事件」の背景にまで切り込んだ勇気あるこの番組に圧倒され、深く感銘した。偶然にも、「教育の統制」の巨大な流れに独り毅然と抗い、“教育現場での自由と民主主義”を守るため、弾圧と闘いながら、“私”を貫いた3人の教師たちを描いた私の映画『“私”を生きる』が渋谷で劇場公開されていた時期でもあった。この作品を今まさに劇場公開して世に問うている時期だけに、時代背景や弾圧の程度の差こそあれ、相通じるテーマを想起させるこの番組が私の胸にいっそう深く染み入ったのかもしれない。私はこの番組に自分の仕事の在り方、そして生き方を問われた。

 NHKドラマ『坂の上の雲』に象徴的に描かれたように、日露戦争は日本国民とメディアを高揚させ、日本全土が「ロシア撃つべし」という圧倒的な「戦争支持」と「愛国心奨励」の空気に包まれた。その中で「戦争は勝っても負けても、犠牲になるのは平民」と戦争に強く反対する幸徳秋水と堺利彦は、当時、記者として働いていた新聞社が「戦争反対」の論調のために経済的に行き詰まり、「戦争に賛同」へと舵を切ったとき、「社会に対する本文責任を果たせなくなったから」という「退社の辞」の残し、新聞社を去る。その後、2人は「平民新聞」を発行し、当時の日本の「戦争支持」の圧倒的な流れに抗い、戦争反対の論調を展開する。その潔さ、信念、思想を貫く凛とした生き方は、見事というしかない。
 日露戦争が勃発した後も、2人の反戦の闘いは続く。幸徳秋水は当時、「兵士を送る」と題した次のような詩を残している。

「兵士を送る」

行矣(ゆけ)従軍の兵士
吾人(われわれ)今や諸君の行(こう)を
止(とど)むるに由なし
諸君 今や人を殺さんが為に行く
否(しから)ざれば即ち
人に殺されんが為に行く
吾人は知る
是れ実に諸君の願ふ所にあらざることを
嗚呼従軍の兵士
諸君の田圃(でんぽ)は荒れん
諸君の業務は廃せられん
諸君の老親は独り門に倚(よ)り
諸君の妻児は虚しく飢に泣く
而(しこう)して諸君の生還は元より
期す可からざる也
而して諸君は行かざる可らず
行矣(ゆけ)
行(ゆい)て 諸君の職分とする所を尽せ
一個の機械となって動け
然れども露国の兵士も
又人の子也 人の夫也
人の父也
諸君の同胞なる人類也
之を思ふて慎んで彼等に対して
残暴の行あること勿れ
嗚呼吾人今や諸君の行を止むるに由なし、
吾人の為し得る所は、
唯諸君の子孫をして再び此惨事に会する無らしめんが為に
今の悪制度廃止に尽力せんのみ
諸君が朔北の野に奮進するが如く
吾人も亦悪制度廃止の戦場に向って奮進せん
諸君若し死せば、諸君の子孫と共に為さん
諸君生還せば諸君と與に為さん

(平民新聞第十四号)

 社会全体が「戦争支持」一色に染まった当時の日本で、この詩を世に問うことは文字通り、命懸けだったにちがいない。一応、言論の自由が認められている現在の日本社会で、「反戦」を唱えるのとはわけが違う。
 もう1つ驚かされるのは、幸徳の「人類」という視点である。「ロシア憎し」「ロシア撃つべし」の世論の中で、「(ロシア人も)諸君の同胞なる人類」と観る視野の広さ(解説者はそれを「国を越える思想」「世界規模」と表現したが)と思想の深さ、それを真反対の社会に公言する勇気に圧倒される。番組ではこの非戦論の思想的な深さは孟子など東洋的な思想の影響について言及している。「人権派」として知られる中江兆民に師事し思想的な影響を受けたことも無関係ではあるまい。

 堺利彦の「社会主義」の捉え方にも、目を開かされた。堺は家庭と生活を重視し、「日常のいい意味での延長が社会主義」だと捉えていた。また「社会の主義を、公共性を中心にした、個人主義に対して社会の主義、公的な主義」と捉え、「地球的な規模で、公共性を中心にして考えていかなければならない」「個人のレベルでの平等、支配と被支配の関係の解消」と考えていた。近現代史において「社会主義国」を標榜してきた国々の実態を目の当たりにし幻滅してきた私の「社会主義」観、偏見に気付かされる思いがした。本来の“社会主義”というのはそういうものだったのか、と新鮮な感動を覚えた。

 この番組はまた「大逆事件」の本質を見事にあぶり出してみせた。明治大学教授・山泉進氏はこう分析する。

 「大逆事件は権力が起こした犯罪で、国家権力による社会主義者たちの抹殺だった。彼らの思想が国家体制と相いれず、国家の利益を守っていくため、また国家の権力を守っていくためにはこういう人間は根絶する、根っこから排除してしまう。事実がどうであれ、当局にとって、彼らの思想が問題なのだ。当局は彼らをスケープゴートして、メディアを通して、『危険な思想を持つと、こうなりますよ』というメッセージを国民に発していった」

 目から鱗である。長年、日本社会、メディアの世界でもタブー視されてきた「大逆事件」の本質をここまで鋭く明解に言い当てた番組があっただろうか。しかも公共放送・NHKの番組がである。

 堺利彦と幸徳秋水の深い信頼関係にも圧倒される。絞死刑を前にして、獄中から幸徳は堺にこう書き送っている。

 「君の目下の境遇も一向にわからず、さぞ迷惑だと察するけれど、迷惑なことだけに余人ではだめだ。僕の一身と周囲とも知りぬいている君の一家に骨拾いの役を務めてもらわなければならぬ」

 堺もまた幸徳の期待を裏切らず、幸徳らとの面会のため刑務所に通い、書籍や日用品の差し入れをし、残された家族の世話に奔走している。そして刑死後の12人の遺体を堺は引き取り、文字通り「骨拾いの役」を果たした。さらに刑死した同志たちの遺族たちの慰問のために、日本各地を旅して回る。私は以前、堺利彦の生涯を描いた著書『パンとペン』(黒岩比佐子著)でその堺の行動を知り、震えるような衝撃と感動を覚えたことを思いだす(参照:「日々の雑感」─黒岩比佐子著「パンとペン」が問いかける生き方─)。
 堺はその後、「ばらばらになった社会主義者たちの仲間が集まる場を作りたい」と新聞「へちまの花」を発行し、一方で翻訳や代筆などを請け負う「売文社」を創設して、生活の手段を断たれた社会主義者たちを支える。ある研究者はそんな彼のその後の活動に触れ、「堺がいなかったら、日本の社会主義はあそこで終わった」と言い切った。

 その思想と信念のために警察に拘束されたり、軍人に襲われ重傷を負ったりしながら、活動を続けた堺利彦は、1933年1月、脳溢血で倒れ、62歳の生涯を閉じる。「僕は諸君の帝国主義戦争絶対反対の声の中で死すことを光栄とす」という言葉を遺して。その葬儀で、娘、真柄は、制止を命じる警官たちの怒号のなかで、こうあいさつをしている。

 「明治37、8年、日露戦争の非戦論から今日の世界大戦の危機をはらむときの戦争反対まで常に捨石、埋め草として働きたいとしていた父でありました。どうか戦争反対の声をさらに拡大させ、その光栄をさらに強く感じさせていただきたいと思います」

 “自由”への制限、弾圧が今とは比較にならないほど厳しかった時代に、信念を貫き、毅然と生き、死んだ堺と幸徳。今の日本に2人のような人物を探そうとしても、なかなか思い浮かばない。強いて言えば、冒頭に書いたように、私の映画『“私”を生きる』に登場するあの3人の教師たちはその例に近いのかもしれないが、堺や幸徳がおかれた苛酷な状況は、3人の状況とは比較にならない。

 あの厳しい時代と社会状況が、あの2人のような人物を生んだのだろうか。そう言えば、占領下の厳しい状況のなかで生きるパレスチナで、類似する人物たちと出会ってきた。イスラエルの占領に抵抗して捕えられて長年投獄され、過酷な拷問のなかでも信念を曲げなかった元政治犯たちである。その時も、私は深い感動を覚え、自分自身の生き方を問われたことを思い出す。
 教育現場で自国の“負の歴史”を教えず、日本人の記憶から消し去ろうとする今の日本に真に伝えられなければならないのは、同じNHKの番組『坂の上の雲』のように「日清戦争」「日露戦争」を称賛し、日本を「勝利」に導いたとされる「英雄」たちを描く「愛国心高揚」の番組ではなく、「世界」「人類」というマクロな視点と、「家庭」「生活」というミクロの視点から、時代の流れに抗いながらも毅然と信念に生きた堺利彦や幸徳秋水の思想と生き方を伝えるこのような番組だろう。しかし「大逆事件」のような微妙な問題に触れるこのような番組を、公共放送であるNHKで放映することは決して容易ではなかったはずだ。それを敢えて番組にし世に問うたプロデューサーの塩田純氏とディレクターの大森淳郎氏の勇気と信念に心からの敬意を表したい。

番組紹介サイト
ETV特集『日本人は何を考えてきたのか/第4回 非戦と平等を求めて 幸徳秋水と堺利彦』

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