2014年10月11日12日「ガザの人権を考える」ラジ・スラーニ氏講演とガザ映画上映会

Webコラム

ガザからの報告(2014年夏)
(23)ガザ住民の「戦争」観・ハマス観(4)
屈辱の中で生きるより“尊厳”を持って死にたい

(注・この記事は「休戦」直前(8月26日)のインタビューを元にまとめたものです)

2014年9月7日(日)


(写真:シェファ病院の避難民テント)

 ガザ市シャジャイーヤ地区の家を半壊され、シャファ病院内の避難してきたファラジ・アルデルデサウィ(45)は、妻と8人の子供たちとシェファ病院の歩道で暮らしていた。7月10日、イスラエル軍はファラジが暮らす地区にビラを撒き、家から避難するように警告した。しかしガザ政府内務省からのラジオ放送もモスクからの呼びかけも、また警官たちも「イスラエルの言うことを聞くな。そんな噂に乗って、避難をするな」と住民たちに指示した。3日後の13日、イスラエル軍の激しい砲撃が始まると、一家はパニックに陥った。一族60人は避難を決意して1階の部屋に集まり、夜明けを待った。

 ファラジの娘ナリマン(23)は、当時の様子をこう証言する。
 「イスラエルが夜に激しく攻撃していた時は、家を出ることもできませんでした。でも伯父さんが『生き延びられようが殺されようが、とにかく家を出るしかない』と言いました。子供たちは恐怖心で嘔吐し、下痢に苦しみました。姉は妊娠していましたが、精神的な衝撃のためでしょうか、胎児はその後死んでしまいました。朝5時になって、一家はやっと避難のために家を出ました。外ではあちこちが砲撃されていました。私たちはその中を必死で逃げました。それは1948年のナクバ(第一次中東戦争で数十万人のパレスチナ人が故郷を追われた)のようでした。逃げるとき、その砲撃で女性や子供たちも含め住民がたくさん殺され、その遺体が路上に広がっていました。遺体の身体の一部も散乱していました。当時目撃したことはとても表現できません。それは悪夢のような光景でした」

 UNRWA学校に避難しようとしたが、どこも避難民で満杯で、行き着いたところがシェファ病院の歩道テントだった。以来、40日間、一家は路上生活を続けていた。「女性は男性以上に生活上、いろいろ必要なことがあります」とナリマンは言う。「しかしここでの生活では、マットレスも毛布も枕もほとんどありません。10人家族に1つのマットレスしかなく、ダンボールを外から拾ってきて、その上に寝ています。トイレもとても汚い。昼間はテントの中はハエだらけです。ここの生活は人間としての尊厳も維持できない、屈辱に満ちた生活です」
 この歩道生活は、とりわけ子供たちの心身の健康を冒している。寝ているときに、突然飛び起き奇声を上げる子や何人も高熱に苦しんだ子もいる。多くの子が夜尿に悩まされている。子供だけではない。大人たちも恒常的な不安と睡眠不足が続き、ナリマンの母親は腹痛と背中の痛みに苦しみ続けている。父親のファラジも精神的に不安定で、いつも苛立ち、子供たちにきつく当るようになった。


(写真:ファラジ・アルデルデサウィと子供たち)

「戦争」観・ハマス観

父親・ファラジ

(Q・あなたの怒りはどこへ向かうのですか?)

 「イスラエルに対してです。封鎖で住民を苦しめ、理由もなく手当たり次第に住民を殺すから。イスラエルは我われパレスチナ人の生活を破壊しています。イスラエルが攻撃しているのはハマスでもファタハでも他の組織でもない。一般住民です」

 「ハマスのロケット弾はイスラエルの攻撃に対する反動です。私はロケット弾攻撃に賛成するわけではありませんが、自分たちの怒りの表現として他に手段がないんです。イスラエルがパレスチナ人を攻撃しなければ、ハマスはイスラエルを攻撃するようなことはしません。この戦争中も、『休戦』を破ったのはイスラエルです。ハマスの指導者たちを暗殺するためにです。イスラエルは休戦中だろうが、そうでなかろうがまったく構わない。自分たちがやりたければ、ただ攻撃して殺す。だから、今回の住民の犠牲の原因がハマスのロケット弾だという主張には同意できません。ハマスとファタハが統一政府を作ることに合意したから、その合意を壊すために、イスラエルはヘブロンでの3人のユダヤ人入植者少年の誘拐・殺害を理由にパレスチナ人の間に問題を起こすためにガザを攻撃したんです」

(Q・パレスチナ人側の条件が満たされなくても、『休戦』に賛成しますか)

 「私は長期の休戦がほしい。子供たちは戦争のために勉強する機会を奪われています。私たちは人間らしい、きちんとした生活がしたいし、長期間の休戦がほしいんです。でも、我われは8年間も封鎖に苦しんできました。だれも外に出ることもできません。もしイスラエルが封鎖解除というパレスチナ人側の要求を受け止めないのであれば、武装勢力が闘いを続けることを支持します。もし我われの要求をイスラエルが受け入れないのであれば、休戦には反対です」

娘・ナリマン


(写真:娘ナリマン)

(Q・ハマスのロケット弾のせいでガザの住民は家を破壊され、こんな惨めな生活をしなければいけないと思いませんか)

 「いいえ。『戦争』を始めるのはいつもイスラエルです。この『戦争』でハマスの人気は上がります。ハマスは我われを守ろうとしているんです。私たちは団結して、最後までハマスを支持します」

(Q・条件が満たされなくても、休戦を受け入れますか)

 「私たちの自由も権利も安全も保障されない休戦は意味がありません。私たちの権利が取り戻される休戦でありべきです。でも一方で、私はこの『戦争』に、もううんざりしています。すべての人の心が壊れかかっています。家に戻りたい。ただ家に戻りたい。その一方で自分たちの権利も取り戻したいのです。疲れ切っている。このまま生活を続けていけない。その一方で権利もほしい。矛盾しているかもしれませんが」

(Q・イスラエルが「権利は与えないが、長期の休戦をしよう
と言ったら?)

 「もちろん受け入れられません。それは私たちへの侮辱です。私たちはこれだけの犠牲を払いました。その結実がほしいんです。私は権利もなく侮辱されて生きるくらいなら、“尊厳”(アラビア語で「カラーマ」)を持って死にたい」

(注・この記事は「休戦」直前(8月26日)のインタビューを元にまとめたものです)

2014年10月11日12日「ガザの人権を考える」ラジ・スラーニ氏講演とガザ映画上映会

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