Webコラム

ルポ「絶望の街─ガザ攻撃から15ヵ月後─」(7)

(2016年3月5日公開)

<第二部・絶望する若者たち>

絶たれる留学の夢

(写真・エジプトの大学医学部に合格しながら、渡航できないフサン/2015年11月ガザ市内で・土井撮影)

 ガザ市在住のフサン・アルバルドゥウール(19歳)は、2014年に97%という抜群の成績で高校を卒業し、エリート校イスラム大学の医学部に入学した。しかし高額の学費を賄えないために1年で退学、奨学金を得て外国の大学医学部で学ぶ道を模索した。幸い、2015年春、エジプトのアインシャムス大学医学部から奨学金でフサンを受け入れるという通知が届いた。9月から始まる新学期に間に合うように、フサンは8月、エジプトへ向かうために、3ヵ月ぶりに開いたラファの国境検問所へ向かった。
 「早朝6時に出かけました。国境は悲惨な状況でした。仕事や病気の治療、留学などさまざまな目的で何万人という人が押し掛けました。なんとか国境を越えようとしましたが、しかし国境を通れるのは押し寄せた群衆の1%にも満たない人数だけです。そのため多くの患者が死に、奨学金が失われ、若者の未来が消滅し、居住許可の期限が切れた。想像できないほど、屈辱的で、実に辛い時間でした」

 夜8時まで待っても自分の番にならなかった。登録者リストの中で、フサンの名前はずっと後ろの方だったからだ。3日間通ったが、結局、国境を通過できなかった。
 その時の感情をフサンはこう表現した。

 「医者になる夢が消えてしまうようでした。国境に未来が閉ざされました。悲しみと怒りと絶望感が混じり合った感情です。私の夢と未来が消えようとしているのに、どうすることもできないのですから。怒りはガザで日常的に住民が苦しんでいる状況に対してです。また悲しみは私と全ての学生の状況から。絶望感は生活状況からくるものでした。想像もできない厳しい状況です。どうすることもできず、未来が閉ざされていくのです。
 私はすでに大学の1年間を棒に振ってしまった。さらにもう1年を失おうとしています。私は何もできません。ガザでも外国でも勉強できないのに状況はとても厳しいです。学生たちには大きな悲劇です。奨学金を得ても、外で勉強ができず、夢を実現できません。こんな状況は、パレスチナ人にはとても困難で危険な状況です」

 2015年は11月中旬までに国境が開いたのは、19日だけだった。フサンが越境しようとした8月以来、フサンにインタビューする11月中旬までの3ヵ月間、国境は封鎖されたままだった。このまま封鎖が続けば、フサンはエジプトで医学を学ぶ機会を完全に失うことになる。
 「イスラエルに対して、一番怒りを感じます。この状況の全体の原因は、イスラエルの占領にあります。またエジプト政府、パレスチナ政府(PA)、ハマス政府など全ての当事国に責任があります。ファタハとハマスの分裂が大きな障害となっています。
 エジプトはハマスが国境を管理することを嫌い、PAに国境の管理を求めました。封鎖を緩和するという条件です。住民は国境封鎖で苦しんでいます。だからハマスが国境管理権をPAに委譲すべきです。しかしハマスは拒否しています」

ガザ脱出を願う若者たち

 2015年5月、世界銀行報告書はガザの状況を「ガザ経済は崩壊寸前」と表現した。失業率は180万人の人口で43%、とりわけ若者の失業率は60%で、世界最悪だというのだ。
 ガザ地区には定時制を含めて9校の大学がある。毎年、何万人という学生が卒業していくが、彼らが直面する最大の壁は“就職”である。
 イスラム大学と並んでガザ地区の名門大学アズハル大学で、学生たちに就職についてインタビューした。

(Q・卒業後、仕事につけると思いますか?)

 「仕事はないと思います。たくさんの大学卒業生がいて、仕事の機会がほとんどないんですから。成績がトップの学生かコネがある者は仕事につけるかもしれませんが」

 「ガザで仕事をみつけるのが難しくても、大学は卒業しようと思います。将来、ガザを出て、海外で仕事を見つけようと考えていますから」

(Q・ガザに仕事がなければ、海外に出るつもりですか?)

 「もちろんです。ここで仕事がなければ、ガザを出ることを考えています。医療実験という今の専門を生かせる場を海外でみつけるつもりです」

 ガザでの就職難はエリートの医学生も例外ではない。アズハル大学医学部2年生の男子学生が言った。
 「ここでは医者の就職の機会はほとんどありません。すでにガザでは医者の数はあり余っていますから。大学を卒業したら、ヨーロッパに留学するつもりです。そこで専門医としての勉強をします」
 ある学生は「もし自由にガザを出られるのなら、ほとんどの若者はガザを出てしまうでしょう」と私に言った。

 エジプトの医学部に留学が決まりながら、渡航できなかったフサンは、ガザの多くの学生たちがガザを出たがるの理由をこう語った。
 「若者がガザを出ようとするのは、祖国やこの土地を嫌っているからではありません。若者をはじめ住民全体の生活状況が、あまりにひどいからです。仕事はなく、勉強する機会もなく、物価も高いです。若者たちが夢を実現し、仕事を得て、尊厳ある生活を送りたいために、ガザの外に出たいという願望が日々強まっているのです。
 海外に活路を見出そうとするのは、若者に限った事ではありません。ガザでは、人生を進展させることはできず、後退するばかりだからです。さらに戦争が起こるたびに、私たちの生活は破壊されます。この状況が厳しいために外国に出ようとするのです」
 「もちろん、家族や生まれ育った土地を離れる決心をすることに重い気持ちになります。しかしガザを離れることを強いられているのです。もしガザによい教育と、安全な生活状況、いい仕事をみつけられれば、私たちは絶対ここに残り、外に出ようとはしないでしょう。愛するものを残してガザを去るのはとても辛いことです。しかし私自身の将来を築きあげたいんです」

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