2017年7月7日(金)
(写真:2017年7月6日・ファルン村にて/撮影・土井敏邦)
まだ薄暗い早朝5時過ぎ、私はアミラ・ハスが運転する車でラマラ市からヨルダン川西岸の北西部トゥルカレム市の南部、ファルン村へ向かった。イスラエル側とパレスチナ側を隔てる「分離壁」の向こう側に農地を持つ農民たちの「デモ」を取材するためである。
「分離壁」とは、「第二次インティファーダ(2000年に勃発したパレスチナ人の民衆蜂起)中に頻発したパレスチナ人の自爆テロを防ぐため」という名目で、イスラエル側と西岸の間に建設された壁とフェンスである。しかしこの「分離壁」は、1948年第一次中東戦争の停戦ライン(つまり1967年までのイスラエルとヨルダンとの国境)沿いに建設されたのではない。西岸の内部に深く食い込むかたちで建設されたのだ。とりわけ「アリエル」など主要なユダヤ人入植地やパレスチナ人の地下水源、肥沃な農地をイスラエル側に取り込み、パレスチナ人農民の住居地区と農地を分断し、「分離壁」沿いの農民たちの農業を破壊する結果をもたらした。パレスチナの環境団体によれば、西岸北部だけでも西岸全体2%の土地が没収され、30の井戸がその所有者から切り離されたという。
2003年に建設が始まり、現在では全長700キロの「分離壁」はほぼ完成している。しかしそれがもたらす問題は今なお続き、深刻化している。
その一つが、「分離壁」によって住居地区と農地を分断された村人たちが、フェンスの向こう側にある自分たちの農地へ行くための通行許可書(自分の農地へ行くのに、イスラエルの許可書が必要なのだ)の更新がこの1年前から難しくなっていることである。
建設当初から「分離壁」の問題を報道し続けてきたアミラはこの現状を、5月28日付の『ハアレツ』紙で「イスラエルはいかにパレスチナ人農民が自分の農地で働けなくしているか」というタイトルで報じた(haaretz.com: How Israel Prevents Palestinian Farmers From Working Their Lands)。その記事の中でアミラは、この1年で許可書の発行数が激減していること、5ドゥナム(5000平方メートル)以下の農地の耕作には1人で十分として地主本人以外は許可書が発行されなくなったこと、さらに330平方メートル以下の土地所有者には「農業で生活できない」という理由で、通行許可書を出さなくなったことなどを詳細に伝えている。
「こうやって、じわじわとイスラエルはパレスチナ人の土地を奪っていくのよ」とアミラが車中で私に言った。
しかしこの日は、許可書を持った村人たちもゲートを通ろうとはせず、やってきたイスラエル兵の隊長に、通行許可書が更新されない現状、家族に許可書が出ない現状などを訴えた。兵士はアラビア語を解し、村人たちの訴えをじっと聞き、時々反論した。しかし兵士レベルでどうにかなる問題ではない。イスラエル側の民政府が方針を変えない限り、現状は変わらないのだ。だが村人たちには直接、民政府に訴える機会などない。とにかく自分たちの苦境を兵士に語り、通行を拒絶するという「デモ」で訴えるしかないのだ。
アミラは訴える村人たちと兵士たちの会話に耳を澄まし、ノートにヘブライ語のメモを走り書きしている。アラビア語を解するアミラには通訳もいらない。兵士たちが立ち去ると、彼女は村人たちに流暢なアラビア語でインタビューして回る。憤懣をぶつける対象を失った村人たちは、イスラエル人記者アミラに思いをぶつける。アミラはそれを走り書きでメモっていく。
2時間近く運転して現場に駆け付け、猛暑の中で精力的に現場の様子と村人たちを取材するアミラを見つめながら、「足で稼いで記事を書く」とはこういうことなのだと私は改めて思い知った。
「何があなたをそこまで突き動かすのか」。帰りの車中で、私はアミラに問うた。
「“怒り”よ。それに“苦さ(bitterness)”と“痛み(pain)”」
「それは加害者であるイスラエル人だから? ユダヤ人だから?」
「というより、自分が“特権を持った人間(being privileged)”だから。だってあの人たちは壁の向こう側には行けないのよ。西岸という大きな“牢獄”の中に閉じ込められているのよ。その一方、私はイスラエル人だから自由に壁を越えて向こう側に行ける。それが私にとって“苦さ”であり“痛み”なの」
(追記)
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