Webコラム

日々の雑感 362:
YIDFF 山形国際ドキュメンタリー映画祭 2107(2)

2017年10月8日(日)

『人として暮らす』(韓国)

 映画『また一年』を途中で抜け出したおかげで、韓国映画『人として暮らす』と出会った。生活困窮者が暮らすソウル市内の「簡易宿泊所(チョッパン)」の住人たちを追ったドキュメンタリーである。共に障がいと貧困の二重の困難を抱えながら同棲、結婚、出産、そして夫の失明と波乱の生活を送る2人の若いカップル。国の福祉制度の支援を得る保証人になってほしいと40年ぶりに両親を訪ねるが拒絶され、生活保護も受けられず生活の場を転々とする中年男性。うつ病を抱えながらも「チョッパン」の仲間たちを支援する生活保護者の男性……。彼らの日々を、ソン・ユニョク監督は自ら「チョッパン」で暮らしながら、丹念に描いていく。

 ソン監督は学生時代からこの「チョッパン」に通い、その住人たちの支援活動を続けてきた。しかしそのカメラのアングルは「支援者」が「被支援者」に向けがちな「上から目線」ではない。登場人物への愛情のこもった暖かな視線だ。  映画の最後に、「チョッパン」や路上で孤独死していったかつての住人たちの遺影を次々と映し出す。そのシーンにも、彼ら一人ひとりがこの世に存在した証(あかし)を映画に刻み込み記録として残そうというソン監督の強い思いを私は読み取った。
 このドキュメンタリー映画を制作する動機を、「監督のことば」の中にソン監督はこう語っている。

 「街でホームレスの相談に乗る活動をしながら、彼らの口になりたいと思った。それは、彼らは街で生きて死んでいくのが、その苦しみの声が社会に届いていなかったからである。
 韓国社会の悲惨な貧困を目の当たりにして、大きく驚き、胸を痛めていた。ありえないと思われたことが実際にこの国で起きている。
 終わりの見えぬ貧困の鎖を見て、その鎖を錆びつかせたい。あるいはそのもつれを解きほぐすことができるよう何かをしたいと思う。我々のカメラが彼らの口になる時、小さな希望が始まると信じている。
 人びとは今もなお路上で死んでいる。だが制度は、貧困に終りがないかのように、事態を永続させようとする。
 貧困の最前線に位置する路上であって、『ドキュジン(人)』(注・独立ドキュメンタリー製作団体)はふらつくような歩みで人びとを記録していく」

 上映後のQ&Aで私は監督に直接訊いた。
 「あなたにとって、ドキュメンタリー映画を作るとはどういうことですか?」
 すると、ソン氏は訥々とこう答えた。
 「路上で生活をしなければならない人たちのことを世界に伝えたいと思いました。そして私にできる一番の方法は映画で伝えることだったんです」
 他の映画の上映後のQ&Aで、あるアメリカ人監督が、“水俣”を描き続けた故・土本典昭監督のこんな言葉を紹介した。
 「映画で描く人物を映画の“道具”として使ってはいけない。その人を“尊厳”をもって描かなければいけない」
 『人として暮らす』というタイトルが示すように、ソン・ユニョク監督は世間から「ホームレス」と一括(ひとくく)りにされ蔑まれる人たちの一人ひとりに、“一人の人間としての顔”と“尊厳”を取り戻すために、この映画を必死に制作したのだと思った。それが私の心を揺さぶったのだ。そして直前に観た映画『また一年』に対する私の違和感は、まさにそこが欠落しているように思えたからかもしれない。

『願いと揺らぎ』(日本)

 私がこれまで通った4回の山形映画祭の「インターナショナル・コンペテーション」部門では、選ばれる十数本の映画の中で日本の作品は1本だけだった。応募する膨大な数の日本人監督によるドキュメンタリー映画の応募作から厳選されるのは1作品だったから、それはすごい映画に違いないといつも期待して観るのだが、『監督失格』(2011年)『なみのこえ』(2013年)のように失望と怒りだけが残る結果に終わる作品が多かった。
 今年は2作品だが、限られた日数の中で選んだのは、『願いと揺らぎ』。現在、福島のドキュメンタリー映画を制作中の私にとって、6年半が過ぎた今年の山形映画祭にどういう「震災映画」が選ばれたのか興味津々だったし、「いま『震災』ドキュメンタリーで何を伝えなければならないかを知る手がかりが得られるかも」という期待があったからだ。
 結論から言えば、この映画に私は撮影する対象、撮ろうとする被災者たちへの自分の向き合い方を問われた。「なぜ被災者を撮り、記録しようとするのか」という根本的な自分の動機と姿勢を問われたと言っていい。
 監督の我妻和樹氏はまだ32歳。仙台の大学で民俗学を学び、1年生の時から3年間、宮城県南三陸町波伝谷(はでんや)へ民俗調査のために通い始める。そして4年生のときに漁村波伝谷暮らしをまとめた200ページを超える報告書を完成させた。卒業後は、夜勤のアルバイトで生計を立てながら、波伝谷でドキュメンタリー映画の制作を続けてきた。
 前作『波伝谷で生きる人びと』は、震災前の村人たちを描いた作品だ。そしてこの『願いと揺らぎ』では、津波に襲われ大きな犠牲を被った波伝谷の住民の1年後の姿を主に描いている。
 パンフレットの「作品解説」には、その内容がこう紹介されている。

「そこ(波伝谷)で暮らす人々の被災後の姿を追いながら、復興の願いとそれぞれの立場と思いからくる心の揺らぎを、伝統行事の『お獅子さま』復活の過程をめぐって描き出している。震災前と後の映像による対比を背景に、監督自身が人々と深く関わる姿を交えながら、多くの課題を抱えた復興への苦難の道のりが生き生きと、刺激的に活写される」

 長年、この波伝谷部落の住民たちの心の支えであり、震災後はバラバラになった住民たちの心を一つにする行事である「お獅子さま」復活に向けて動き出す住民たちの動き、そのやり方をめぐる部落のリーダーたちと若い世代とのズレと葛藤、そして漁民たちの共同作業における軋轢などがこの映画に詳細に描かれている。部落の話し合いや宴会のシーンも「そこまで詳細に描かなくてもいいのではないか」と思うほど、延々と映し出す。しかし、それは映画の背景として不可欠な、部落の深く複雑な人間関係を観客に刷り込んでいく仕掛けなのだと、後半になって気づかされるのだ。

 我妻監督は外部から俯瞰する視線ではなく、自らが住民の1人であるかのように、それまで数年間に築き上げた人間関係の中で直接・間接に関わりながら、カメラを回していく。その「近すぎる距離」がゆえに、その人間関係に巻き込まれ、監督自身も悩み、苦悶する。
 外部からの支援を受けて「お獅子さま」を復興しようとするシュンキさんら村のリーダーたちと、外に頼らず部落の住民たちの力でやろうと主張するミキオさんら若い世代。その間に挟まれ悩むが、結局、外部の支援を得るためのネット広報の立ち上げに自らが関わることで、若い世代たちと溝ができてしまう。この映画の主人公の一人であり、「一番撮りたかった人」が「最初から撮れていない」状態に陥ってしまう。ミキオさんにインタビューもできなくなったのだ。しかし我妻氏は逃げずにじっと待つ。そして数年後、やっと心を開いてくれたミキオさんの当時の心境の告白でこの映画は終わる。
 それほど密接に住民と関わりながら制作した映画を公開前に当事者たちに初めて見せるときの不安と葛藤を我妻氏を、上映後のQ&Aでこう語った。
 「一番見てほしかったミキオさんがこの映画をよしとしなければ、この映画を上映することもできないだろうと思いました。そういう意味でも、いちばん最初に観てほしかったんです」「ミキオさんにしてもシュンキさんにしても、これ見て傷つくんじゃないかなと不安でした。周りの人からバッシングしていることを見せているので、そういう意味で、自分がよかれと思ってやっていることも、波伝谷の人たちに悪影響を及ぼさないかなといろいろ考えていたんです」「とくにシュンキさんを傷つけたらどうしようというのが一番の心配でした。一所懸命に動いていても、トップに立つ人はどうしても批判される立場になってしまうので、そういうところを見せて、傷ついたらどうしようと思ったんです」

 私がこの映画に最も引き込まれたのは、監督の「撮影する対象」との向き合い方である。震災が起きた後に、「世間に認められる震災ドキュメンタリー映画を撮ってやろう」という野心に燃えて現場へ入り、言葉巧みに「誠実さ」や「情熱」を装って被災者に接近し、にわか作りの「人間関係」をこしらえ、相手の都合や迷惑に気を配ることもせず強引にカメラを回し、何か撮った気になっている「ドキュメンタリー映画監督」とは全く対極にある、“本物のドキュメンタリスト”の姿だった。そして私は自分が失いかけているもの、いま欠落しているもの、自分の「要領のよさ」「姑息さ」を目の前に突き付けられているような気がした。
 なぜ我妻氏は「撮る対象」とこういう向き合い方ができたのか。その答えは映像の端々から読み取れる。それは、長い住民たちとの濃密な関わりの中で醸成された「この地区とそこで生きる人びとたちが好きだ」という素朴な感情があるからに違いない。それがその人たちの“尊厳”を大切に記録していきたいという我妻氏の強い思いにつながっているのではないか。
 「なぜドキュメンタリー映像を撮るのか」「なぜ記録するのか」――私たちドキュメンタリストがもう一度立ち返らなければならない原点を、この我妻和樹監督とその作品『願いと揺らぎ』に、私は改めて突き付けられているような気がした。

『願いと揺らぎ』facebook

次の記事へ

ご意見、ご感想は以下のアドレスまでお願いします。

連絡先:doitoshikuni@mail.goo.ne.jp

土井敏邦オンライン・ショップ
オンラインショップ