2018年12月6日(金)
ずっと気になっていた『三里塚のイカロス』(代島治彦・監督)を観た。
「成田空港反対闘争を三里塚の農民とともに闘った若者たちの“あの時代”と“その後の50年”を描いた」(DVDジャケットから)映画だ。国と闘う農民を“支援”(「援農」)するために全国から集まった新左翼系を中心にした学生たちや労働者たち。しかし国側の反対運動の切り崩しによって闘争組織や農民が分裂し、皮肉にもそれを新左翼組織の「闘争」がその分裂に拍車をかけ、組織間の「内ゲバ」へと発展し、反対闘争は自滅していく。「闘う農民を支援する」と一途な思いで三里塚に馳せ参じた若者たちは、そこで闘い、挫折していく。
私が見入ったのは、彼らのその後の“生き様”である。闘争の中での事故で半身不随なった当時高校生の活動員、空港開港を阻止するために管制塔の破壊活動に加わり8年間の刑務所暮らしの後に出所した元国鉄マンと、彼をひたすら待ち続けた“連れ合い”……。とりわけ私が心を引かれたのが、“援農”で三里塚に入り地元の農民と結婚した元女性活動家たちの“その後”だ。国の圧力と切り崩し工作に屈して、農民の夫と共に三里塚を去り「移転」した活動家の元女子大生。その後、新左翼組織などから「裏切者」と脅迫を受け続ける。「脅しみたいな言葉を吐いていくっていうかたちでねえ。いつ火をつけられてもいいような感じでねえ。まあ忘れられないですね」と当時を述懐する。また同じく農民と結婚し「移転」した元女子大生は、その葛藤に耐えらず「自死」を選ぶ。
「農家の妻」として三里塚に残り続けた元女子大生もいる。結婚当時、週刊誌に「世間知らずのお嬢さんがすぐに逃げ出すだろう」と揶揄された。「まあ、なんて書かれたって私は私だから見ててよって思ったね」とその元女性活動家は振り返る。そして50年近く経った今、彼女は三里塚で土を鍬で耕し、野菜を収穫し続けている。広い畑の中でひたすら土を耕す、もう70歳を過ぎたその女性の姿がまぶしかった。なんと見事な“生き様”だろう。
ある大新聞社の中年記者はいわゆる「全共闘世代」だった。その記者が言った。「俺も学生時代、ヘルメットを被り角帽を持って運動やってたんだ。あの頃は若かったからなあ」と。大テレビ局でもそういう「全共闘世代」に出会った。
「権力と闘うんだ!」「体制を倒すんだ!」と息巻き、ヘルメット姿で角帽を振り回していた学生たちの中には、卒業と共に大企業に就職し、国家・地方公務員に変身した人も少なくないと聞いていた。「体制の中から社会を変えていくんだ!」と大言壮語していた彼らが、いつのまにか「体制を支える中核」に変身していく。そんな「全共闘世代」の“変わり身の早さ”“要領のよさ”を目の当りにし、聞かされてきた私のような「全共闘世代から少し遅れてきた世代」は、彼らに対する根深い不信感がある。「学生時代にはカッコいいことを言いながら、なんだ、その生き様は!」と。
そういう反発があったからこそ、私は、日本の「全共闘世代」と対比するために、1980年代に韓国の民主化運動の先頭に立っていた学生運動のリーダーたち(386世代)の「その後」を追い、ルポを書いた。その拙著『炎となりて―新・韓国を拓いた若者たち』(三一書房)の中で、卒業後も、学生運動を指導した者として責務を果たす、彼らの見事な“生き様”を紹介した。学生運動のリーダーの一人だったソウル大のエリート女子学生は警察に捕まりレイプされる。その事件を勇気を奮って公にして権力と闘い、卒業後は女性人権活動に身をささげる。またあるリーダーは卒業後、農村に入り農民運動を引きていく。現在の韓国の民主化した政治・社会を生み出し、支えているのも、かつて民主化運動を担ったかつての若者たちだった。
一方、日本のあの「全共闘世代」は「破壊」はしたが、日本を大きく改革していく力にはほとんどなりえなかったように私には見えた。むしろ日本の権力・体制側にからめとられ、逆に旧態依然の体制・権力側を強固する側に変身していった者も少ないように見てしまったのは、実情を知らない私の勝手な思い込みだったのだろうか。
映画『三里塚のイカロス』に登場する、三里塚で闘った若者たちの「その後」を観て、「全共闘世代」を一括りにして、わかったように切ってしまうのは、あまりにも浅薄で傲慢だと思い知るのだ。青春時代を賭けて、時には命をも賭けて闘いながら、傷つき、数十年経った今も、その癒えない“生傷”を背負い引きずりながら社会の片隅で懸命に生きる彼らを、社会を変えるために何一つ闘ったこともない私が笑えるだろうか。映画タイトルの「イカロス」は、蝋で固めた翼によって自由自在に飛翔する能力を得るが、太陽に接近し過ぎたことで蝋が溶けて翼がなくなり、墜落して死を迎える。「人間の傲慢さやテクノロジーを批判する神話」だが、私には、無謀にも「太陽=体制・権力」に立ち向かい、「蝋が溶けて翼がなくなり、墜落して」いく、あの当時、三里塚で闘った若者たちの一途な姿を見事に象徴し、言い当てたタイトルに思える。
中島みゆきの歌「ファイト」の中にこういう一節がある。
「ファイト/ 闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう
ファイト/ 冷たい水の中を ふるえながらのぼってゆけ」
「闘わな」かった自分が、「冷たい水の中を ふるえながらのぼって」もいない自分が、雲の上から見下ろすように、かつて「闘った」者たちを笑えるのか。では、お前はこれから、どう「闘って」いくのか――。
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