Webコラム

日々の雑感 405:山形国際ドキュメンタリー映画祭2021
評2『核家族』/『夜明けに向かって』

2021年10月15日

核家族/Nuclear Family

「幼少期から核戦争のイメージにさいなまれてきた監督が、家族とともにアメリカ各地の核実験施設をめぐる。ネイディヴ・アメリカンの虐殺の記憶も重ね合わせ、核と人類の歴史、反復される暴力を問い直す」(パンフレット「解説」)

 手法として、核実験施設跡の閑散とした風景写真のような固定映像、自分の妻や子どもたちのスナップ映像、その合間合間に組み入れられたいくつもの原発、水爆の爆発シーンが延々と続く。そのなかに監督の解説、想いの語りを被せた作品。
「こんな表現もありうるんだ」という感慨は残ったが、あまりに安易で、退屈な作品である。「ネイディヴ・アメリカンの虐殺」と「核実験施設跡」「核兵器発射施設」という“中央”の政策のために“地方”“僻地”の現場で原住民も自然環境も犠牲にされる不条理な構造を暗示する視点は評価できるが、「ドキュメンタリー映画作品」としては、ほとんど心を動かされなかった。

夜明けに向かって/This Stained Dawn

 カラチなどパキスタン各地の大都市で行われた「オーラト・マーチ(女性の行進)」の実現に向けて準備に奔走する女性たちを、デモを組織する仲間の一人として内部から撮影したドキュメンタリー映画である。
 この映像は、デモの様子をテレビニュースとして伝える「外」からの視点では絶対に撮れないし、このデモを組織し支える女性一人ひとりの“人間”はこれほどリアルに描けない。「仲間の一人」として共に喜び、苦悩し、怒るなかで生まれた映画だ。

 「監督のことば」には、「ムスリム女性を被害者扱いする従来の全世界的ナラティブ(注・物語)を覆し、それにかわる私たち自身の真実―私たちは反帝国主義的左翼闘争とも交叉する、抵抗の奥深い歴史がある―を突き付けるのだ」とある。
 私自身、「ムスリム女性」について、「ムスリム社会の男性中心の社会規範に従属を強いられ、自己主張する機会も少ない、受動的な存在」というイメージを抱いてきた。そんな私の偏見は、この映画の中の、パキスタン女性たちの熱く激しい言葉と行動に打ち破られた。なんとエネルギッシュで個性的で、知性と情熱に満ち溢れた女性たちだろう!

 ドキュメンタリー映画が個々の“人間”を等身大で深く描き切れたとき、国や言葉の違いを超えて、その映画の中の“人間”が観る者に迫ってきて、観る者の生きている姿をその“鏡”に映し出し見せ、「あなたはどう生きていますか?」と問いかけてくる。この映画は、そんな力を持っている。

公式サイト:夜明けに向かって/This Stained Dawn

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