Webコラム

日々の雑感 406:山形国際ドキュメンタリー映画祭2021
評3『最初の54年―軍事占領の簡易マニュアル』

2021年10月16日

最初の54年―軍事占領の簡易マニュアル/The First 54 Years: An Abbreviated Manual for Military Occupation

 イスラエルは1967年、パレスチナ人が暮らすガザ地区、ヨルダン川西岸、東エルサレムを占領した。その占領の実態を、直接関わった元イスラエル将兵たちの証言と、イスラエル人のアビィ・モグラビ監督の解説で明らかにしていく映画である。

 私にとって、モグラビ氏は“縁の深い”監督だ。私は2009年に映画『沈黙を破る』を山形国際ドキュメンタリー映画祭に応募した。占領地で兵役についた元イスラエル軍将兵が自らの加害責任と自己の人間性・良心崩壊を証言する映画である。しかし結果は落選だった。
 一方、モグラビ監督は同じ映画祭に、映画『Z32』を出品し、「インターナショナル・コンベンション」部門で優秀賞を受賞した。パレスチナ人を射殺した元イスラエル兵の証言をテーマにした映画で、「元イスラエル軍将兵の加害証言」という点は私の映画と類似していた。
 しかし私には、その映画が「優秀賞」を受賞するほどの映画とは思えなかった。この映画を評した当時のコラムに私は、「相手側パレスチナ人の“人間の顔”が見えないことが、問題の“背景”や“構造”を浮き彫りにする深さを観る者が感じることができない大きな要因になっている。
 さらに、この“パレスチナ人の顔”の不在、“背景”や“構造”の不可視が、このドキュメンタリーをイスラエル人の“カタルシス”の映画にしている」と書いている(日々の雑感 159:山形国際ドキュメンタリー映画祭2009 (4)パレスチナ・イスラエルに関する映画)。

 そして12年後、私が『沈黙を破る』の続編『沈黙を破る・Part2』を山形国際ドキュメンタリー映画祭に応募した今年、モグラビ監督はこの映画を出品した。今度もテーマは私の映画と重なっていた。パレスチナ占領の当事者だった元イスラエル将兵たちの加害証言の映画だ。私の映画に登場する証言者数人がモグラビ監督のこの映画にも登場するし、使われている資料映像も一部重なる。
 大きく違うのは、証言の合間合間にモグラビ監督自身が「54年間のパレスチナ占領とはどういうものだったのか」を解説する点だ。“イスラエルの占領”を構造、歴史的な意味合いを的確に語ってきかせる。その語りはプロの俳優と見紛うほどうまい。
 「イスラエルのパレスチナ占領」を歴史と現実を伝えるドキュメンタリー映画としては優れた映画であるし、この問題を学ぼうとする学生たちにとっては絶好の“教材”である。
 しかし「ドキュメンタリー映画」としてはどうか。たしかにこの映画では元イスラエル軍将兵たちの「やった加害行為」が証言でリアルに再現される。しかしその行為が、元将兵たち自身やイスラエル社会にどういう影響を及ぼしているかは語られていない。
 そして前作『Z32』と同じく、もう一方の当事者、占領されるパレスチナ人の顔も声も、その心の内もまったく見えてこない。つまり占領が被占領者にとって何であったのかが何も伝えられていないのだ。

 “占領”の怖さは、元イスラエル将兵たちの銃撃や暴行など“直接的な暴力”だけではない。もっと怖いのは、占領下で生きる人びとが生活基盤、将来への希望を奪われ破壊される、可視化しにくい日常的な“構造的な暴力”である。それは加害者側の証言だけでは見えてこない。その“構造的な暴力”に実際さらされている当事者たち自身の日常生活と声でしか伝わらないのだ。

 監督自身のイスラエルの占領の俯瞰的な解説は、たしかにこの映画をわかりやくしている。しかし私が疑問に思うのは、映画を制作した監督自身が、映画に登場してこれほど長く詳細に「解説」しなければならない「ドキュメンタリー映画」とは何なのかということだ。その「監督の解説」を映像そのもので見せていくのが、本来の“ドキュメンタリー映画”ではないのか。ドキュメンタリー映画は単に学校の“教材”ではないはずである。

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