Webコラム

日々の雑感 421:
山形国際ドキュメンタリー映画祭2023
評1『不安定な対象2/The Unstable Object II』

※画像は映画公式サイトより引用(リンク下記)

2023年10月8日

【「不安定な対象2」(ダニエル・アイゼンバーグ監督)】

 ドイツの義肢製造工場、南フランスの高級革手袋縫製アトリエ、そしてトルコのジーンズ工場という3つの工場での製造過程がナレーションも字幕もなく、淡々と描かれている。
 義肢の部分一つひとつが精密に製造される過程、職人たちの無駄のない動き。革手袋が細かく縫われていく細かい作業。ジーズ布が大量に切断され、縫製され、色消しをしスプレーで色付けし、布を熱射で焼き、穴を意図的に開けていくプロセス。その作業一つひとつが面白くて見入ってしまう。たしかにこの映像にはナレーションはいらない。
 ジーンズ工場現場で圧倒されるのは、蟻の集団のようにさえ見える同じ色の作業着を着た大量の労働者たちが、耳をつんざく凄まじい機械音のなか、単調な作業を果てしなく繰り返す。私はその現場に「労働の残酷さ」をまざまざと見た。

 なぜ、この3つの工場なのか。私はダニエル・アイゼンバーグ監督に訊いた。
 監督はこう答える。
 「最初の工場は、全ての製品が一人の義肢のために作られる。最後のジーンズ工場は一人ひとりの労働者が、シーズを買い履く何千、何万という人を対象に働いている。
  そして高級革手袋縫製アトリエでは、5人という少数の職人がまさに、手袋を使う人と一対一の関係で製造している。しかし製造する側と使う側とはお互いまったく見知らぬ関係である。
 その労働の個人と集団、一つだけの生産と大量生産がコミュニティや社会とどのような関わりを持つか、それが社会システムの中でどんな価値観を持つのかを探ってみたいと思いました。つまり三つの生産現場での極端に異なる集団と個との構築(three radically different constructions of mass and individual at the site of production)です」
 「私たちはその工場で何が生産されるか知っています。しかしそれがどのように生産されるかを知りません。労働現場の状況は不可視なものです。私はそれに抗いたかった。近い将来、AIなどにとって代わられる工場での労働現場を見せたかった。他の映画監督のようにその映像で何かを表現したかったのではなく、現場を“見せたかった”のです」

 私はその答えに納得がいかず、さらに訊いた。
 「映画の作り手は、何かを表現したくて、または主張したくて映画を作るのではありませんか。たしかに現場に入る時は、何を伝えたいかかその輪郭は明確にわからないかもしれない。しかし編集段階では、撮った映像の何を切り捨てるか、何を残すの選択し、どう構成するかを模索するとき、自分が観る人に何を伝えたいかを判断するはずです。それがなければ、編集せず、そのまま素材を並べてみせればいいはずです。
 私は改めて伺います。あなたは3つの工場の労働現場を映し出すことで、観客にどんなメッセージを伝えたかったのですか?」
  監督は答えた。
 「この映画は、何かを“伝えたい”のではなく、観る人の前に差し出し、観る人が考え、それについてそれぞれ意見を持てばいいのです。この映画を拒絶し劇場から立ち去ることもできます。それは観る人の“権利”です。私は観る人に、私が持っている思い、同じような意見を持ってほしいとは思いません。何に関心を持ち、どう感じるか、その“力”を観る人に委ねたい。
 もちろん自分が現場で体験したものを見やすいような形にするために編集はします。むろん私も自身の主張はあります。しかしそれは私の個人的なことです。私は視聴者に私と同じように感じてほしいとは思いません。むしろ違った感じてほしいとさえ思います。私の映画は“オープン・フォーラム”です」

 私は「ドキュメンタリー映画には、例えそれをストレートに表現しなくても、作り手の主張、メッセージがあるはずだし、なくてはならない」と考えてきた。しかし、それとはまったく違う考えを持つ監督がいて、その思想を体現した映画を目の当りにした。
 私はこの映画と監督に出会っただけでも、山形へ来た価値はあった。

[公式サイト]不安定な対象2/The Unstable Object II

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