Webコラム

広河隆一氏への公開書簡

2023年11月24日

【なぜ今、広河氏への公開書簡なのか】

 私が、今敢えて広河さんに「公開書簡」を書くことを決意した理由は二つあります。
 一つは、最近、広河さんのイスラエルからの報告をFBで散見したこと、もう一つは私が尊敬するあるジャーナリストから先日、「広河問題」への私の対応についてメールが届いたことでした。
 彼は私にこう伝えてきました。

 「なぜ5年近く前のブログについて、今、土井さんにお伝えしたいと考えたのかというと、パレスチナ、ガザのことで土井さんのお名前や姿がメディアやネットで数多く露出している昨今、5年近く前に書かれたブログがそのまま掲載されていることに対し、『ガザで素晴らしい仕事をされてきたとはいえ「広河氏擁護」の公開文をそのままにしていることは許されない』『二次被害である』という声が、私の元に伝わってきているからです」

 私は最初の文章「『ジャーナリスト・広河隆一』私論」を書いてから、激しい批判を受けながらも、沈黙を守ってきました。私は最初のコラムにこう書きました。

 「広河氏の行為は、明らかに“性暴力”である。それに対して広河氏は社会的な制裁を受けるべきだし、自身が被害女性一人ひとりにきちんと謝罪し、その罪を償うべきだ。しかし一方で、この事件のために、広河氏の全人格と、ジャーナリストとしてのこれまでの実績を全否定する動きに私は同意できない」

 私が批判・非難の嵐に沈黙をしてきたのは、私の伝えたかったことは間違っているとは思わなかったからです。なのに、なぜ今でも「広河隆一の擁護者」と批判されるのか。私が「擁護」しているのは広河氏のジャーナリストとしての実績であり、彼の「性暴力」ではないことはきちんと読めばわかるはずなのに。
 私が広河さんの「実績」の全否定に「抗う」のは、個人的な思いもありました。
 私が“パレスチナ”の取材・発表を始めた若い頃、その先駆者であった広河さんは、私にとって「道しるべ」であり、「目標」でした。広河さんのその“パレスチナ”に関する仕事を含めて全否定することは、あの時期の私自身の人生、生き方そのものを「否定」することでもありました。だからその動きに対して私は「抗おう」としていたのです。

 最初のコラムで私が反省すべき点は、広河さんのジャーナリストとしての「実績」の抹殺に「抗おう」とするあまり、被害者の女性たちの“痛み”に思いを馳せられなかったことです。そのことは私が深く反省しなければならないことです。

【広河氏への提言】

 広河さん、「広河隆一の擁護者」とされている私が今、あなたに言わなければならないことがあります。
 あなたが今、やるべきことは「ウクライナやイスラエルからの現地報告」ではないはずです。
 広河さんは「文春報道」の直後、電話で私に「もうジャーナリスト活動は止める」と宣言しました。今、「すべてを失った」広河さんがジャーナリスト活動を再開することで自分の“生”を必死に支えようとしていることは、同業者の私には容易に想像できます。
 しかし、その前にあなたがやるべきことがあるはずです。
 2019年12月、「文春報道」から1年経った頃、「デイズジャパン検証委員会・報告書」が公開される直前、私はあなたにメールで私信を送りました。私が公にではなく個人的に伝えることで、広河さんが考え行動してくれるのではないかと期待したからです。結局、あなたはまったく無視し、何の返信もくれませんでした。その中で、私はこう書いています。

 「もし広河さんがジャーナリストとして“再生”する道があるとすれば、被害女性たちの“痛み”とどう向き合うか、それにどう“償う”か、を公に明言し、実行することです。もしそれを自分自身でできなければ、またその意志がなければ、広河さんは法的な処罰を受けるべきです」

 しかし広河さん、あなたは私の私信に全く反応もせず、まずやるべき責務を何一つ果たさないまま、あの問題が全くなかったかのように、「ジャーナリストとして“再生”」しようとしています。それを社会は許さないでしょう。実際、あなたの写真展開催に反対運動が起こり、そのFBでの「報告」もほとんど反応がない現実がその証左です。

 広河さん、もうあの問題から逃げないで、きちんと向き合ってください。そうしないと、私が手紙で書いた通りになってしまいます。私はこう書きました。

 「広河さんが、相手女性たちの“傷の痛み”にきちんと向き合うことをしなければ、これまでの仕事がますます否定され、忘れ去られていき、後世に『広河隆一は性暴力者のジャーナリスト』という汚名を残すことになります。広河さんの家族はそれを将来もずっと背負っていかねればならなくなるでしょう」

 「広河隆一の擁護者」というレッテルを貼られた後輩ジャーナリストの私からの、最後のお願いです。

【追記】

 4年前に私が私信として送った手紙を、再び広河さんに無視されないように、公開します。
 また「広河問題」に対する私の姿勢を明確にするために、「報告書」の公開直後の2020年1月9日に執筆し、ある事情で公開を控えていた私のコラム「『デイズジャパン検証委員会・報告書』を読んで」も4年経った今、敢えて公開します。


* * *

【広河隆一氏への私信】
―2019年12月23年-

広河隆一さま

 8月末の広河さんのメールに、私は驚きました。広河さんは、自分が複数の女性と関係を持ったことを「あれは恋愛だった」とまだ信じているとわかったからです。もし、ほんとうに「恋愛」だったら、関係を持った女性たちが10年近くも経ってから、なぜ「心身ともに深く傷つけられた」と敢えて公にし、訴えたのでしょうか。「女性たちにハメられた」「私を貶めるための策略だ」と思っておられるのでしょうか。

 あれは「恋愛」なんかではなく、自分の性欲のはけ口として、「著名なフォトジャーナリスト」という名声に憧れて『DAYS JAPAN』に近づいてくる若い女性たちを食い物にしたという一般的な見方を、私は否定できないと思います。その性欲も、これまでの被害女性たちの数を考えれば、「セックス依存症」という病的なものを感じてしまいます。
 もし本当の「恋愛」の感情があれば、自分の行為によって、その将来のある若い女性たちがその後どういう影響を受けるか、相手の立場を慮ったはずです。広河さんにはそういう思慮はまったく感じることはできません。
 広河さんは弁護士を責め、「過剰なMe TOO運動の生贄にされている」と主張します。とりわけある弁護士の「性暴力」について言及するのには、唖然としてしまいます。「性暴力で糾弾されているあなたが、他人の性暴力を言及できるのか!」と。
 あなたはそうやって他者を責め攻撃することで、自分の犯した行為を直視することから目を逸らそうとしているように私には見えてなりません。

 いま広河さんに必要なことは、10年経ってもPTSDに苦しむ女性たちの“痛み”を想像することだと思います。彼女たちの証言の一部に事実誤認や誇張や思い違いがあったかもしれません。しかし広河さんが「手記」でその一部の誤りを必死に指摘し正そうとしても、広河さんへの非難を和らげたり、かわすことができるとは思えません。それどころが、広河さんが、女性たちが受けた“痛み”に対して何一つ想像できないでいることを公にさらすことになり、広河さんへの批判はいっそう強まることは目に見えています。伊藤詩織さん強姦事件で山口某氏が記者会見で、「伊藤さんには嘘をつく性癖がある」と公言し、社会を唖然とさせ、いっそう激しい怒りを生み出したのと同じです。

 見方によっては、あの醜悪な山口某氏よりもっと「質が悪い」のかもしれません。
 それは「正義や人権を説き訴えてきたジャーナリスト」であり、『DAYS JAPAN』で、女性への性暴力を告発し、女性の権利を訴えてきたあなたが、複数の女性たちに10年以上経っても癒えない“心身の傷”を負わせてしまったことに自省できていないこと、それが『DAYS JAPAN』の愛読者たちや、発行のために支援してきた人たちをどれほど失望させ幻滅させたか、そして私たち後輩のジャーナリストたちは、この「広河問題」で社会に「公には正義を説くジャーナリストって、所詮、実態はこんな連中なんだ!」という空気を社会に生んでしまったことで、同業者として、どれほどの打撃を受けているのかに気づいていないように思えるからです。

 私がこの事件で最も衝撃を受けたのは、ジャーナリストとしてあれほど偉大な業績を残してきた広河さんが、とりわけ被害を与えた女性たちに対して、彼女たちが受けた“痛み”への想像力をまったく持っていないことを知ったことです。それは“ジャーナリスト”として致命的だと私は思います。

 「手記」で彼女たちの証言の一部に事実誤認、誇張や思い違いを明らかにしたい広河さんの心情はわかります。文春の記事に書かれた「広河氏の言動」は、広河さんの「人格」と、これまでの「社会的な評価」を粉砕してしまったのですから。しかしその「反論」は、「文春」掲載の直後に、きちんと記者会見を開いてやるべきでした。1年経った今は、文春の記事の内容はすでに「事実」として社会に定着したように思えます。
 いまそれを敢えてやろうとするなら、同時に相手の女性たちが受けた“傷の痛み”に対して広河さんがどう向き合うのかをきちんと明記すべきです。それがなければ、山口某氏の「伊藤さんには嘘をつく性癖がある」発言と同じく猛反発を受けるでしょう。

 もし広河さんがジャーナリストとして“再生”する道があるとすれば、相手女性たちの“痛み”とどう向き合うか、それにどう“償う”か、を公に明言し、実行することです。もしそれを自分自身でできなければ、またその意志がなければ、広河さんは法的な処罰を受けるべきです。

 この事件が明るみになった後も、私は、広河さんがこれまでやり遂げて来たパレスチナやチェルノブイリ、フクシマに関する仕事、『DAYS JAPAN』発行で日本のフォトジャーナリズムの発展に貢献した業績は絶対に否定されるべきではないと思っています。それを表明することで私は激しいバッシングを受けてきましたが、今もその考えは少しも揺らいではいません。
 ただ広河さんが、相手女性たちの“傷の痛み”にきちんと向き合うことをしなければ、これまでの仕事がますます否定され、忘れ去られていき、後世に「広河隆一は性暴力者のジャーナリスト」という汚名を残すことになります。広河さんの家族はそれを将来もずっと背負っていかねればならなくなるでしょう。

 私はもうこの「広河問題」に関わりたくはありません。
 私が今すべきことは、広河さんの事件によって社会に増幅された「公には正義を説くジャーナリストって、所詮、実態はこんな連中なんだ!」という空気に対して、「いや、違う!」ということを、私自身が、言葉ではなく、自分の仕事と生き方を通して、社会に示し続けることだと考えています。

 2019年12月23日  土井敏邦


* * *

【「デイズジャパン検証委員会・報告書」を読んで】
―2020年1月9日―

ジャーナリスト・土井敏邦

【コラムへのバッシング】

 ジャーナリスト・広河隆一氏の「性暴力事件」が週刊文春の記事に掲載され、その記事への社会の反応を元に、私がコラム「『ジャーナリスト・広河隆一』私論」を書いてから、ちょうど1年になる。この間、「性暴力者の広河隆一を業績が立派だからと、擁護している」「被害者たちの痛みに無感覚で無神経」「広河と同罪だ」といった激しいバッシングにさらされ続けてきた。

 私は前コラムにこう書いた。
 「広河氏の行為は、明らかに“性暴力”である。それに対して広河氏は社会的な制裁を受けるべきだし、自身が被害女性一人ひとりにきちんと謝罪し、その罪を償うべきだ。しかし一方で、この事件のために、広河氏の全人格と、ジャーナリストとしてのこれまでの実績を全否定する動きに私は同意できない」
 その私の考えは、1年経った今も、揺らいではいない。
 この文章から、どうして、「『業績が立派だから』と、広河隆一を擁護している」「被害者たちの痛みに無感覚で無神経」「広河と同罪だ」という結論が引き出せるのか、今も理解できないでいる。
 中でも最も多かったのは「『業績が立派だから』と、広河隆一を擁護している」という批判だった。私は「広河氏の性暴力は許されないし、処罰されるべきだ。しかし過去の仕事全てが否定されるべきではない」と言っているのに、批判者たちは「だから」という接続詞を意図的に付け加え、しかも私が「広河氏の性暴力を含め広河氏とその言動全体を擁護している」かのように歪曲し非難する。繰り返すが、私が「擁護」しているのは「広河氏の過去の仕事」であって、「広河氏の性暴力」ではない。「『業績が立派だから』と、広河隆一を(性暴力を含めて)擁護する」ような人が存在するのだろうか。

【二つの“顔”】

 昨年12月末に公開された「デイズジャパン検証委員会・報告書」に衝撃を受けた。「知り合って40年近くなるのに、私は“広河隆一”という人間の一面しか知らなかっのだ」という現実を改めて突き付けられた。私の中にあった“広河隆一”は、「パレスチナやチェルノブイリ、エイズ問題やフクシマなどをテーマに凄い実績を残した、“尊敬するべ先輩ジャーナリスト”」という一面である。
 しかし「報告書」に登場する“広河隆一”は、「著名なフォトジャーナリスト」に憧れて『DAYS JAPAN』に集まってくる若い女性たちを次々と自分の性欲のはけ口としていくおぞましい「“性暴力者”の広河隆一」だった。

 文春の記事、とりわけ第二弾で報告されている広河氏の言動を私は正直信じられなかった。
 中東の現地に同行したアルバイトの女性に「取材先の男性スタッフたちが、君を貸してほしいと言っている。どうするか」「僕らの滞在中、彼らは君を借りてセックスしたいそうだ。彼らにとって君は外国人だからね。君はどうするか。彼らとセックスするか。それとも僕と一つになるか。どっちか」と語ったというその言葉に、「『正義を唱え、弱者の声を伝え続けてきたジャーナリスト』の広河氏がそんなことを言うはずがない。それは私が知っている広河氏の言葉ではない」と思ったのである。

 私は広河氏に直接問い質した。彼は「あの記事には事実と違う“嘘”がたくさんある。反論するための準備をしている」と答えた。しかしその「反論」はいつまで待っても出てこなかった。広河氏は「私の反論は『セカンドレイプになるから』と弁護士に止められた」と言ってきた。

 しかし今回の報告書で、委員の弁護士が当事者の女性に直接聞き出した同様の証言を目にしたとき、「やはり、あれは基本的に事実だったんだ」と私は認識した。その証言の中の詳細な部分を広河氏は「思い違いだ。誇張だ。そこまでは言ってはいない」と反論するかもしれないが、「アルバイトの若い女性を取材現場に連れていき、毎晩セックスの相手をさせた」という最も重要な部分は嘘ではないだろうと認識した。

 報告書に記載されている多数の「セクシャルハラスメント」の列挙に、私はただただ唖然とした。しかもこの報告書に記されてる実例は全てではなく、告白をためらうたくさんの被害女性たちがいるはずだ。その膨大な数とその卑劣なやり方に、私は「セックス依存症」という病的なものさえ感じてしまう。 それは、出会ってから四十数年の間、私が知らなかった広河隆一氏の“もう一つの顔”だったのだ。それは、報告書の言葉を借りれば、「著名なフォトジャーナリストとしての肩書を濫用し、女性達から自身への尊敬の念に乗じ、権力性を背景に重ねた、悪質な代償型セクシャルハラスメント」を続けてきた人物として“顔”である。

 あるジャーナリストが広河氏を、「女性とセックスするためにジャーナリスト活動をしてきたような人」と切り捨てた。長年、広河氏のジャーナリストとしての実績を見てきた私は、広河氏の過去のジャーナリストとしての実績を知らない彼の極端な言葉に怒りさえ覚えた。しかし、報告書を読んだ今、知人のジャーナリストにそこまで言わせてしまうほどのことを広河氏はやってしまったのだということを改めて認識させられた。
 私はその極端な批判には反発するが、しかし少なくとも広河氏は、「ジャーナリストとしての立場と仕事を、若い女性たちと性関係を持つために利用した」ことは否定できないと思う。「写真を教えてあげる」と女性をホテルに誘い、「取材法を現場で教える」とジャーナリスト志望の女性を現地に同行させ、性の相手をさせるやり方はまさにそうだ。
 その行為は、同業者の私たちにとって、ジャーナリストという仕事への冒涜である。「ジャーナリストはどうあるべきか」を私たち後輩ジャーナリストに教え諭してきた「模範であるべき先輩ジャーナリスト」なら、なおさらである。
 そのことに、後輩ジャーナリストの一人として、私は深い失望と、強い怒りを覚える。

【矛盾する人格の併存】

 ジャーナリストにとって最も重要なの資質の一つは、「他者の“痛み”への想像力」「その“痛み”をもたらす者への“怒り”」だと私は考えている。パレスチナ、チェルノブイリ、フクシマ、エイズ問題・・・ジャーナリストとしてこれまで数々の報道をしてきた広河隆一氏を突き動かしてきたのも、その突出した “想像力”と“怒り”だったはずだ。
 今回の事件で、私がどうしても理解できないのは、そんな“想像力”と“怒り”を持っているはずの広河氏が、なぜ自分の「性欲のはけ口」にされた若い女性たちの“痛み”に対して“想像力”を働かせることができなかったのかということである。
 自分の行為によって、将来のある若い女性たちがその後、どういう影響を受けるかを想像しなかったのか。10年以上経っても、女性たちはトラウマに苦しんできたことが報道や報告書からもわかる。広河氏の性暴力による精神的なダメージによって、ジャーナリストになる夢を断たれた女性もいる。
 しかし広河氏は「同意があった」「恋愛だった」と主張し、そう思い込むことで、彼女たちの“痛み”への想像力を麻痺させてしまい、その現実から目を背けているように思える。
 もし自分の娘や孫娘が、自分がやったように扱われたら「同意があったから」「恋愛だったから」と広河氏は納得し受け入れるのだろうか。これだけの女性たちの証言を突き付けられて、なぜ広河氏はかつてジャーナリストとしての活動で発揮した「他者の“痛み”への“想像力”」を働かせることができないのか。

 私が敬愛するある先輩は、40代後半の時に20代前半の若い外国人女性から求婚された。彼はその女性に「まず国に帰りなさい。2年経ってもあなたの気持ちが変わらなかったら、その時には私も考えます」と答えた。親子ほども違う女性の将来を慮ってのことだったのだろう。一旦祖国に帰ったその女性はしかし、2年経っても想いを断ち切れなかった。その後二人は結婚した。
 広河氏が「あれは同意があった。恋愛だった」と言うのなら、私の先輩のように、彼女たちの将来を慮ったはずだ。しかし報道や報告書で記述されている広河氏の言動には、その一かけらも見られない。やはりそれは「同意」や「恋愛」などではなく、女性たちの証言から、著名なフォトジャーナリスト・広河隆一氏の「優越的地位によって精神的に圧力を感じて性的要求に応じざるを得なかった」(報告書)というのが実情だろう。

 もう一つ、私にどうしても理解できないのは、自分の行為によって、家族とりわけ配偶者がどれほど精神的な傷を負うのかをなぜ“想像”できなかったのかということだ。この事件によって配偶者が受けた衝撃を想うと、一度も会ったことのない私でも打ちのめされる思いになる。

 広河氏のかつてパレスチナ、チェルノブイリ、エイズ問題、フクシマなどのジャーナリスト活動では「他者の“痛み”への想像力」が広河氏を突き動かしていたと今でも私は信じている。そうでなければ、あれほどの年月とエネルギー、半生をかけ、時には命の危険を冒したまで成し遂げることは不可能だと思うからだ。私が「広河氏の全人格を否定するのには同意できない」と書くのはそういう理由からだ。
 しかし一方で、今回の事件で明らかになったように、「その“想像力”を全く失った広河隆一」というもう一つの人格も広河氏の中にある。その二つの矛盾した人格が広河隆一という一人の人間の中に併存しているのだと私は思う。だからこそ、私は今回の事件にこれほど困惑しているのだろう。

【醜悪な自己欺瞞】

 広河氏は「私はこの世界でそれほどの権力を持っていうと感じたことがないし、それはあり得ない」という。しかしそれは嘘だ。嘘であることは広河氏自身がいちばんわかっているはずだ。「広河王国」(報告書)ともいえる『DAYS JAPAN』という組織の中であれほどのパワーハラスメントやセクシャルハラスメントができたのは、自分には「我儘な王様として君臨して好き放題をやれ」(報告書)るという潜在意識があったからだろう。
 著名なフォトジャーナリストであり、『DAYS JAPAN』の全ての権限を握る広河氏が「フォトジャーナリストを志す若い女性たちから「雲の上のすごい人で、神様のようなイメージ」(Buzz Feed)と見られていたことを、広河氏が気づいていなったはずがない。いや熟知していたからこそ、それを利用して女性たちを強引にホテルに呼び出し性関係を持ったり、海外取材に同行させ「ストレス解消のためのセックス」の相手をさせることができたということは広河氏自身がいちばんよくわかっているはずだ。「雲の上のすごい人で、神様のようなイメージ」を持たれる著名なフォトジャーナリストという立場、フォトジャーナリストを志す若い人たちが憧れる『DAYS JAPAN』の実権者という立場は、紛いもない“権力”であることをあの賢い広河氏がわかっていなかったはずはない。それを「それほどの権力を持っていうと感じたことがない」と弁明するのは卑怯で卑劣な自己欺瞞だ。

 「(女性たちは)僕に魅力を感じたり憧れたりしたのであって、僕は職を利用したつもりもない」(週刊文春)と広河氏は言うが、「報告書」が指摘するように、「父親どころか祖父に近い年齢である20代の女性たちがあなたの年齢の男性に性愛の対象として捉えることはそもそもほとんどない」「相手の女性達があなたに向けていた好意は、あくまでジャーナリストであるあなたに対する敬意やあこがれであって、異性としての好意とは別のものだった」
と考えるのが普通だろう。それを敢えて「僕に魅力を感じたり憧れたりした」と言うとき、その「魅力」「憧れ」が前述した“権力”に起因することを広河氏は十分承知していたはずだ。

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