作品紹介/予告編
ほんとうに帰れるのか?
いったい“除染”は誰のためか?
莫大な予算、その真の狙いは何か?
“故郷喪失”に苦悩し、葛藤する村人たちの1年間の記録
原発から30キロ以上も離れていながら、風向きと降雪・降雨のために大量の放射能に汚染され、「全村避難」を余儀なくされた福島県・飯舘村。酪農の生業を失い、家族離散に追い込まれた二つの家族の「その後」の生活と、故郷や家族への思いを描きながら、原発事故がもたらした“故郷喪失”の深刻な傷痕をあぶり出す。
避難までの2、3ヵ月間に及ぶ放射能被曝の不安、とりわけ幼い子どもたちへの影響に若い親たちは怯え苦しみ続けている。一方、政府は村民の帰村と村の復興をめざし、2011年末から「除染」効果の実験事業を開始した。しかしその効果は「子どもたちが安心して暮らせる」レベルにはほど遠い。村人の中から、数千億円にも及ぶ莫大な費用のかける除染で、ほんとうに帰村できるのかという疑問や不安、不信の声が噴出する。「帰りたい。しかし帰れないのでは? ではどうする?」──2年に及ぶ避難生活の中で、飯舘村の村人たちの葛藤と苦悩は続く。
私は故郷の村に帰れますか?
村で子どもたちと安心して暮らせますか?
もし帰れなければ、どこに“故郷”を探せばいいですか?
内容
第一部・家族
村を追われた酪農一家、志賀家の老夫妻は、息子夫婦と離れ、村から数十キロ離れた町で2人暮らし。75歳の父親は、村民自ら集落を警備して回る「見まもり隊」の仕事に出て生活費を稼ぐ。息子は、酪農の道を捨て、コンクリート工場に就職した。お互いを気遣いながら離散して暮らす志賀一家は、親子で帰村し自宅で暮らせる日を待ち望む。
4世代で暮らしてきた長谷川一家も、両親は福島市近郊の仮設住宅に、長男一家は山形に移った。線量の高い村で子どもを育てられず、農業再開も難しいと判断した長男の将来の計画には「帰村」はない。将来は、自分の牧場を持ちたいという長男一家と暮らしたいと願う父親。しかし母親は、固まった長男一家の生活に割り込み乱してしまうことを懸念する。一度離散した家族が再生する難しさを象徴する家族の姿である。
第二部・除染
幼い子どもを持つ母親たちは、線量の高い村に2ヵ月近く残り、子どもらを被曝させてしまったことを悔やみ、自分を責め続けている。将来、「飯舘村出身」の経歴が、結婚差別になってしまうのではないか、娘たちが生む子どもに被曝による影響が出るのではと恐れる母親たちは、その不安を切々と訴える。
一方、避難区域の見直し、村を3分割する計画を提示する政府側に、村人からは「帰村の基準値20ミリシーベルト/年で安全なのか」「除染は可能なのか」「帰村して暮らせるのか」という疑問や不安、不信の声が噴出する。村で始まった除染の実験事業の結果は、「子どもたちが安心して暮らせる」レベルにはほど遠い。国の除染事業の真の狙いは何なのか。村人の一部や原子力の専門家は「原発再稼働のための布石」「原子力産業の再生が狙い」と指摘する。
「帰りたい。しかし帰れないのでは? ではどうする?」──国の政策に翻弄され、2年に及ぶ避難生活を強いられる飯舘村の村びとたちの葛藤と苦悩を描きながら、原発事故があぶり出したこの国のあり様を問う。
作品データ
『飯舘村 ―放射能と帰村―』
日本/2013年/日本語/HD/119分
監督・撮影・編集・製作:土井敏邦
整音:藤口諒太
題字:菅原文太
写真撮影:森住卓
デザイン:野田雅也
配給:浦安ドキュメンタリーオフィス
監督のことば
3・11という未曽有の惨事を前に、30年近くパレスチナ”を追い続けてきた私は、ジャーナリストとして何を伝えるべきなのかがわからず、金縛りにあったように、まったく身動きができなかった。そして長く自問し、もがいて出た結論は、「故郷と土地を奪われたパレスチナ人を伝えて続けてきた私がやるべきことは、大震災の結果、故郷と土地を奪われた人たちの“痛み”を伝えること」だった。ただ、パレスチナは津波の被害のような“天災”ではなく“人災”である。3・11で人災によって故郷を失う人びと──それが原発事故によって故郷を追われる「飯舘村」だった。
飯舘村は原発から30キロ以上離れているにも関わらず、風向きや降雪、降雨の影響で大量の放射能が村に降り注いだ。しかし政府が村を「計画的避難区域」に指定し、全村避難を指示したのは事故から1ヵ月以上が経った4月22日だった。つまり原発に隣接し、事故直後に避難を余儀なくされた大熊町や双葉町と違い、村民が実際に避難するまでの2、3ヵ月間、飯舘村には日常の生活があった。故郷を追われる人の“痛み”は、奪われる前の人びとの日常の生活が見えていてこそ、より深く伝えられる。原発近隣の町々ではなく飯舘村を選んだのはそういう理由からだった。
2012年春に完成した『飯舘村 第一章 ─故郷を追われる村人たち―』では、飯舘村の2つの酪農家の家族が、生業の源であり、“家族”の一員”だった牛を手放し、避難のために家と先祖が眠る墓を残したまま村を離れていく姿を描いた。映画の中で村人たちは故郷の意味を自問し、愛郷の想いを切々と語った。
もう1つのテーマは“放射能の恐怖”だった。幼い子どもの被曝を怖れ、放射能に汚染された村から一刻も早い避難を訴えた若い親たちと、“村”という共同体を残そうと奔走する村の為政者たちとの間に生まれた深い乖離と軋轢も、飯舘村を描くのに欠かすことができない要素だった。
本作『飯舘村 ―放射能と帰村―』はその続編である。前作で描いた酪農家の2家族のその後を追うなかで “故郷”“家族”の意味を改めて問うとともに、「放射能に汚染されたあの村に、住民は帰れるのか」という深刻な問題がこの映画の主要なテーマである。
若い親たちは、幼い子どもたちの被曝を怖れ、帰村を断念し始めている。一方、年配者たちも、断ち難い望郷の念と、「子どもも孫もいない村、農業もできない村へ独り帰るのか」という不安と葛藤のなかで苦悩する。そんななか、国は全村民の帰村をめざし莫大な費用をかけ“除染”を推し進める。しかし取材を進めていくと、「除染はほんとうに効果があるのか、村人はほんとうに帰れるのか」という疑問が湧き起ってくる。さらに、いったいこの除染事業によって誰が利益を得るのか、国は除染によって何を狙っているのかという疑問も浮かび上がってくるのである。
“日本の中のパレスチナ”いう視点から、「人にとって故郷とは何か」「家族とは何か」を問うことから取材を始めた「飯舘村」は、「国家はほんとうに民衆のために動くのか」という視点へと私を向かわせた。この映画は、私のその問題意識の変遷の報告である。
土井敏邦
監督・土井敏邦プロフィール
どい・としくに
1953年佐賀県生まれ
ジャーナリスト
1985年以来、パレスチナをはじめ各地を取材。1993年よりビデオ・ジャーナリストとしての活動も開始し、パレスチナやアジアに関するドキュメンタリーを制作、テレビ各局で放映される。2005年に『ファルージャ 2004年4月』、2009年には「届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと」全4部作を完成、その第4部『沈黙を破る』は劇場公開され、2009年度キネマ旬報ベスト・テンの文化映画部門で第1位、石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。次作となった2012年1月公開の『“私”を生きる』(2010年)は、2012年度キネマ旬報ベスト・テン文化映画部門で第2位となる。
その他、東日本大震災後に制作された『飯舘村 第一章・故郷を追われる村人たち』(2012年)で「ゆふいん文化・記録映画祭・第5回松川賞」を受賞。また、ビルマ(ミャンマー)から政治難民として日本に渡った青年を14年にわたって見つめた『異国に生きる 日本の中のビルマ人』(2012年)を2013年3月から劇場公開。現在は『ガザに生きる』全5部作を制作中。主な著書に『アメリカのユダヤ人』、『沈黙を破る─元イスラエル軍将兵が語る“占領”─』(いずれも岩波書店)など。
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