|
||
Vol.6 パスポートを「買う」ルート 一方、万が一このルートも難しくなった場合に備えて、出国のためのもう1つの方法を考えていた。それは「パスポートを買う」手段だった。フセイン政権崩壊後、イラクの政府機能は麻痺し、代わって統治するようになった米軍占領当局もイラク国民にパスポートを発給する機能も余裕もなかった。祖国の混乱を避けて海外へ逃避しようとするイラク人でフセイン政権時代にパスポートを取得していなかった者の多くは、闇業者が売る「パスポート」を「買って」出国しているという。私もムスタファ移送の最後の手段として、そのルートを探った。パスポートを買う窓口となっているというある家具販売店の店主を訪ねた。彼によれば、イラク戦争によって外務省が機能を停止する直前に出されたパスポートの番号は「03」で始まっていて、戦後、出回るようになった「04」「05」で始まる番号は、入管職員が一目で「偽者」だと見破れるのだという。そのため、「03」で始まるパスポートの需要が高く、「04」「05」で始まる番号のパスポートは150ドルだが、「03」のパスポートは2倍の300ドルに跳ね上がっているということだった。買うなら、高くても「03」のパスポートの方が危険は少ないと助手がアドバイスした。国連ルートの様子を見て、最終決断をすることにした。 ちょうどその頃、ムスタファの父親エマドも、パスポート購入の情報を集めていた。私の出国予定日が数日に迫っていると知ったエマドは、その前にムスタファと自分がなんとかヨルダンへ入国できるようにと焦っていたのだ。国連ルートが難しい場合に備えて、次ぎの手を打っておく必要があると判断した私は、エマドにパスポート購入のゴーサインを出した。「03」の番号であることが条件だった。私はパスポートを買いに行くエマドに同行しようと考えた。しかし助手は止めた。パスポートなど公文書の偽造で悪名高い地区は、貧困地帯であらゆる犯罪が横行する旧サダム・シティーの一画にあり外国人が入るのは危険すぎること、以前、そこを取材しようとして入った外国人ジャーナリストの車が囲まれ、カメラなどすべてを奪われ、激しい暴行を受けたことを助手は私に説明した。私もそこまで危険を冒すわけにはいかなかった。 ゴーサインを出した2日後、エマドがパスポートを持ち帰った。費用は46万ディナール(約265ドル)だった。本物のパスポートを所持する助手がチェックした。番号は確かに「03」で始まっていて、中にはエマドとムスタファの写真が貼ってある。助手は「私が持っている本物と見分けがつかない」といった。「偽造」といっても、パスポートの本体は戦争直後の混乱の中、外務省から略奪された未使用の本物のパスポートで、それに「買い手」の名前や生年月日などを書き込み、写真を貼ったものらしい。 これで最後の手段は整った。しかし私はできればこれを使用せずに、正規のルートで2人をヨルダンへ送りたかった。しかしその願いは、予想もしなかった事件で吹き飛んでしまうことになった。
|
||
(c) Doi Toshikuni 2003- |