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2015年10月12日(月)
この映画祭で数々の映画を観ながら、私は改めて「ドキュメンタリー映画とは何か」「なぜ、誰のためにドキュメンタリー映画を作るのか」と考えさせられた。
前述した『いつもそこにあるもの』や一族9人の女性が集う家の日常生活を淡々と追った『女たち、彼女たち』、「老移民者の記憶と苦しみを描いた」という『ホース・マネー』(今回、耐えられなくて途中で劇場を出た唯一の映画)などは、この映画は観客に何を観せたかったのか、何を伝えたかったか、私はほとんど理解できなかった。家族の記念映像として15年をかけて父親の人生を追った『河北台北』も、「この父親の日常生活と人生をドキュメンタリー映画にする“普遍性”はいったいどこにあるのか。家族の『思い出映像』として家の中にそっとしまっておけばいいのに」と思ってしまった。
最悪だったのは「アジア千波万波」部門の出品作でパレスチナを扱った『虐げられた者たちよ』。失望を通り越して、怒りがこみ上げてきた。上映時間の12分間、連続上映される次の映画を観るために、私は目と耳を塞ぎ、映画が発する耳をつんざくような騒音と吐気を催すような不快な映像を遮断し、12分間ひたすら耐えた。沸々と怒りがこみ上げてきた。なぜこの作品が1000近い応募作品の中から選ばれなければならなかったのか。この作品を選んだ審査員の顔を見てみたいと本気で思った。そして訊いてみたかった。「あなたにとってドキュメンタリー映画とは何ですか?」と(紹介動画:『虐げられた者たちよ』)。
前回の映画祭に、私の知人がある作品を応募し落選した。山形映画祭の関係者から落選の理由として告げられたのは、「わかりやす過ぎる」だったという。
また、ある映画関係者は「映画はわからなくてもいい」と豪語したという。まさか山形ドキュメンタリー映画祭の審査員にそれほど傲慢で独善的な人がいるとは思わないが、4回の映画祭でさまざまな出品作を観ながら、私はこの映画祭とりわけインターナショナル・コンベンション部門の選考で最も重視されているのは、「観る人にきちんと伝わり心を動かす」かどうかではなく、いわゆる「映像美」「芸術性」「斬新性」ではないかと思うようになった。
ドキュメンタリー作家は「芸術家」なのだろうか。山形映画祭の会場近くで映像関係者たちと「ドキュメンタリー映画とは何か」を議論しているとき、私が尊敬するドキュメンタリー作家の1人が「私は芸術家でもないし、なろうとも思わない。私は記録映像の“職人”だ」と言った。伝えたいことを観る人に、いかにわかりやすく的確に伝えるかに全身全霊をかける“職人”だというのだ。私はその“職人”という言葉の響きにハッとした。それは「芸術家」の言葉の持つハイカラなイメージとは真逆の、泥だらけになって地べたを這いずりまわる“労働者”を想わせる。本来、ドキュメンタリーとは「芸術」などとは程遠い、ドロドロした現実の中に自ら身を置き、「これを伝えずにおくものか!」という気迫で無我夢中になって撮影し作り上げていく“泥臭い”ものではなかったのか。
私のドキュメンタリー映画を観る“物差し”は、それが“観る人の心に届き、その心を動かす”か否かの一点だ。「映像美」「芸術性」「斬新性」がそれを助ける役割を果たすのなら素晴らしいが(前述した『真珠のボタン』はその好例だ)、 “人の心に届き、動かす”内容もないのに「映像美」「芸術性」「斬新性」という化粧でごってりと粉飾し誤魔化している作品は観るに耐えない。困ったことに、そういう作品を「これぞ素晴らしい芸術作品!」とわかった風を装い、有り難がる人もいる。その「『芸術性』を理解できないのは、自分の無知・未熟のためかもしれない。それを他人に見透かされるのは怖い」と思ってしまうのだろうか。まさに「裸の王様」の世界だ。やはり誰かが「王様は裸だ!」と叫ばなければならないのではないか。
(写真:パンフレットより)
ずいぶんと辛口の批評を書いてきたが、私は「山形国際ドキュメンタリー映画祭」はたいへんありがたい映画祭だと思い、心底、感謝している。もしこの映画祭がなければ、『真珠のボタン』『銀の水─シリア・セルポートレート』『ドリームキャッチャー』『私の非情な家』のような(もっとあったはずだが3日間という限られた時間で私が出会えた作品だ)“観る人の心に届き、心を動かす”世界の名作には出会えないのだから。こういう作品を選ぶ眼力のある審査員がいるうちは、応募するたびに落選する屈辱に耐えながらも、私は山形に通い続けるつもりでいる。
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