2020年9月7日
活字や映像などこれまでの自分の作品を振り返るとき、大半が証言ドキュメンタリーであったことに気づく。思い返せば、私がジャーナリズムの世界に入った最初の仕事は、ある中東専門雑誌での「人物ルポ」の連載執筆だった。記憶力が弱く、「メモる」ことが苦手だった私は、その時、インタビューの音声を一文字一文字に書き起こし、それを組み立てて記事を書いていった。それは習慣となり、数十年経った今も私の素地となっている。英語やアラビア語などでのインタビューでも、それは変わらない。
だから人の話を聞いてメモり、それを元にすぐに記事する新聞記者たちを、私はいつも羨望の目で見ていた。自分にはできないことを目で前であっさりとやってみせる新聞記者が「超人」のように思え、劣等感に悩んだ。
一方、同じ現場で取材した新聞記者が書いた記事を読んで、取材した相手の言葉の引用の仕方が“雑”で“乱暴”に思えたことも少なくなかった。当事者が語った言葉は、もっと複雑で深い意味のあった内容だったはずなのに、カギ括弧でくくられた言葉は、まるで魚が骨だけの姿で差し出されるような、味も素っ気もないのだ。「魚にはちゃんとおいしい“身”がついていたはずなのに」と私は違和感を覚えた。
もちろん「今夕の夕刊、明朝の朝刊に間に合わせなければならない」新聞記者が、限られた字数で伝えなければならない時に、私のようにインタビューをいちいち書き起こすような悠長なことをやっていては仕事になるまい。
しかし証言から得られるのは単なる「情報」だけではない。語る人の心の内もが透けて見えてくるのだ。語る表情からも見え隠れするが、発せられる言葉からは、もっと深く、詳細にそして鮮明にその人の心情が吐露される。つまり語る人の“人間”が表出される。それこそが証言の醍醐味であり、そこにこそ“言葉の力”があると私は思った。「情報」という「魚の骨」ではない、“人間性の表出”という“魚の身”こそ伝えたい。そのためには、愚直であっても、言葉を丁寧に文字化し伝えていく手法は意味があるはずだった。
その後、私は十数年、「インタビューして、その言葉を書き起こし、組み立て文字化する」――そんなルポを長く書き続けてきた。しかし、やがて私はもう一つの壁にぶつかることになる。私のルポには、言葉を発する時の人の表情、その言葉が発せられる周囲の状況が表現できていないことに徐々に気づいたのだ。
名作といわれるルポを読むと気づくのは、その文章を読んでいると、その場の情景や語る人の表情が、まるで映像を見ているかのように脳裡に浮かんでくる。それがきちんと詳細に文章で表現されているからだ。
自分にはその「言語での表現能力」が欠如していた。これは活字での表現者にとって“致命傷”である。理由はわかっていた。“言葉の貧困”である。これまでの半生の中で、読書などを通して多くの言葉に触れることよって表現に不可欠な“言葉”を培い、自分の中に蓄積する努力を自分が怠ってきた、その“ツケ”である。
「自分には言葉で表現する能力がない。でもあの人たちのことを伝えたい!」
その葛藤に悩み、苦しんだ。
そんな時に、テレビの世界で生きるある友人が導いてくれたのが“映像の世界”だった。私に欠落している“言語による表現能力”を映像が補ってくれる――私は“光”を見た思いがした。
それから20数年が過ぎた。組織に属さない私は、組織の中の熟練した先輩や同輩たちに教え鍛え上げてもらう機会もなく、独り手探りでもがきながら、映像による“証言ドキュメンタリー”の道を歩んできた。
67歳になった今も、「もっと伝わり、観る人の心を動かす証言ドキュメンタリーはどうしたら作れるのか」を模索している。経済的に苦しくても国際山形ドキュメンタリー映画祭に毎回通い続けるのも、その模索の一環である。
そして今年、世界の「証言ドキュメンタリー」の名作を見直して改めて勉強しなおそうと思った。6月に書いたコラム「映画『ショアー』から何を学ぶか」 はその一例である。
これから「証言ドキュメンタリー」の名作について、学んだことを少しずつ書いていこうと思う。
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