Webコラム

日々の雑感 416:
映画『オレの記念日』の“人間の魅力”

2022年9月9日

 ドキュメンタリー映画の成否は、登場人物の“人間の魅力”で決まる――たくさんのドキュメンタリー映画を観てきて、また自身も何本かドキュメンタリー映画を制作した体験からそう痛感する。そういう“人間の魅力”にあふれた人物と出会えるかどうか、出会ったときに「この人だ!」と見極める眼力があるかどうか、もっと言えば、それができる“生き方”を自身がしてきたかどうかがドキュメンタリー映画の作り手には問われているような気がする。ドキュメンタリー映画には作り手自身の“生き方”“人間性”が投影され、透けて見えてくるからだ。

 『オレの記念日』は“人間の魅力”にあふれる桜井昌司さんを中心に据えたことで大成功している。
 落語家と見紛うばかりの人を魅せる語り、プロ顔負けの歌唱力、獄中での真情を吐露した感動的な詩、そして何よりも滅法明るく、前向きな生き方……、まさに“絵になる”主人公である。
 とりわけ度肝を抜かれるのは、講演で「29年間の刑務所生活が私を生まれ変わらせてくれた。ありがたい。警察と検察に感謝したい」と、真顔で語るシーンだ。聴衆はドッと湧くが、それは「受け」や「笑い」を取るためジョークでないことは、後の彼自身の言動から明らかになる。「度肝を抜かる」と書いたのは、身に覚えもない冤罪によって、20歳から29年間、理不尽に獄中生活を強いられた人間が、それを強いた警察、検察、国家権力への身を引き割かれるほどの怒りを吐き出してもいいはずなのに、桜井さんは「感謝」と表現する、その強靭さに驚嘆したからだ。
 「ステージ4の直腸がん、しかも肝臓に転移し手術もできない。余命一年」と宣告さても、桜井さんの「前向き思考」は変わらない。残された人生を「冤罪被害者の支援」のために奔走し、明るく前向きに生きようとする。そんな桜井さんの“生き方”が観客を感動させ、魅了し、励ます。

 運転しながら、自宅でくつろぎながら、歩きながら……、さまざまな生活の場面で桜井さんがさりげなく金監督に吐露する言葉が実にいい。金監督はそれを丁寧に拾い集めて、映画に生かしている。それが桜井さんの人柄、人間性を深く伝える大きな効果を発揮している。さりげなく映画の中に散りばめられたこれらの言葉はしかし、誰でも簡単に拾えるものではない。
 2013年に公開した映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』の制作中に出会ってほぼ10年、金監督は桜井さんとの信頼関係を育んできた。それがあるから日常生活に密着する金監督に、桜井さんは本音の言葉をぽろりと漏らす。「この人なら、本音を漏らしてもいい」という安心感があるのだろう。“撮る側”と“撮られる側”のそんな信頼関係を築くのは容易(たやす)いことではない。金監督の桜井さんと向き合う姿勢、「冤罪で人生を奪われた人の苦しみ、痛み、悔しさ、怒りを伝えずにおくものか!」という金監督の情熱と信念そして誠実さが、桜井さんに“裸になり、自らをさらけ出す”覚悟をさせたのだと思う。そういう意味で、この映画の成功は、金聖雄監督の“全人格”の結実ともいえる。

 一つだけ欲を言えば、桜井さんの妻、恵子さんが語った「夜中に叫んで窓から飛び降りようとするほど、長い獄中生活の深いトラウマを抱えている」、その深い傷を桜井さん自身の言葉からもっと深く引き出してほしかった。そうすることで、あの表の「前向きな生き方」の裏にある、深く暗い根っこを掘り起こせただろうし、“冤罪”の残酷さをもっと深くえぐり出せたかもしれないと思うからだ。

『オレの記念日』公式サイト

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