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日々の雑感 418:
なぜ記録映画『愛国の告白』を世に問うのか〈前編〉

2022年10月24日

制作の動機

 私が初めてのドキュメンタリー映画『沈黙を破る』を劇場公開したのは、13年前の2009年5月だった。私がパレスチナ・イスラエルの取材を開始した1985年から24年、活字から映像に軸足を移した1993年から16年が経っていた。
 2006年、それまでの10数年間に撮りためた数百時間の映像を、習得したばかりのパソコンによる編集技術を駆使して、独りでドキュメンタリー映像4部作『届かぬ声─占領と生きる人びと─』(第1部『ガザ―「和平合意」はなぜ崩壊したのか―』/第2部『侵蝕―イスラエル化されるパレスチナ―』/第3部『2つの“平和”―自爆と対話―』/第4部『沈黙を破る』)を編集し完成させた。3年がかりの仕事だった。
映画『沈黙を破る』はその第四部を劇場公開用に再編集したものである。幸い、この映画は「早稲田ジャーナリズム大賞」「キネマ旬報文化映画部門第1位」など様々な賞を受賞し高い評価を受けた。

 あれから13年、いま私は『沈黙を破る』の続編、『愛国の告白―沈黙を破る・Part2―』を劇場公開する。
 しかし私は当初からこの新作を制作することを目指してはいなかった。
 映画公開から7年たった2016年、私は、映画『沈黙を破る』に、その後の新しいパレスチナ・イスラエルの状況を付け加えたディレクター・カット版『沈黙を破る』を作ろうと思い立った。
 それにはNGO「沈黙を破る」メンバーの最新状況も付け加えようと考え、かつて取材した創設者ユダ・シャウールに連絡を取ろうとした。しかし、なかなか電話がつながらなかった。やっと連絡が取れ、再会できたのは2年後の2018年夏だった。そのユダから聞かされたのは、「沈黙を破る」のグループが政府や右派勢力から激しい非難・弾圧にさらされている現状だった。2014年のガザ攻撃に従軍した兵士たちの証言集を発行したことがきっかけだった。接触が難しかったのは、そういう事情があったのだ。

 一方パレスチナ側も、映画『沈黙を破る』制作した2000年代の状況よりさらに悪化していた。
 ガザ地区は、2009年以後、3度にわたるイスラエル軍の激しい攻撃によって街は破壊され多くの死傷者が出ていた。またヨルダン川西岸でも、ユダヤ人入植地の拡張・増設が加速化していた。その象徴的な街ヘブロンでは、入植者たちの横暴と入植者を守るイスラエル軍や警察によるパレスチナ人住民の弾圧が世界の注目を浴びていた。
 激しく動くパレスチナ・イスラエル情勢は、最新の情勢を少し追加するだけのディレクター・カット版『沈黙を破る』制作で事を済ませる状況ではなくなっていたのである。

「沈黙を破る」スタッフたちへのインタビュー

 新たに『沈黙を破る』の続編を制作しようと思い立ったとき、その柱になるのは、現スタッフたちへのインタビューであることは予想できた。しかしそれは容易ではなかった。
 激しい攻撃を受ける彼らは、グループを守るために必死に闘っていた。外国人の私のインタビューを受けることに警戒心もあったろう。なかなか実現できなかった。その仲介をし彼らを説得してくれたのは、前作『沈黙を破る』の主人公の一人だった先のユダ・シャウールだった。そしてやっとインタビューが実現したのは2019年夏、再び接触を試みてから3年が経っていた。

 インタビューしたスタッフたちの多くはまだ30代半ばの青年たちだが、私が圧倒されたのは、彼らの“言葉の力”だった。
 まずその言語能力だ。6人全員が流暢な英語で自由に意志表示できる。両親がアメリカやカナダの出身で、英語が母国語の一つになっているスタッフもいた。イスラエルで生まれ育った者たちも、ネイティブに近い英語を話す。それは彼らの教育レベルの高さを示していた。
 英語が堪能であるばかりではなかった。語られる内容が深く、鋭かった。イスラエル社会の状況分析やNGO「沈黙を破る」の存在意味と活動の分析と解説、さらに深い自己分析……理路整然と論理建てて語る彼らの話に私は圧倒され感動した。30代半ばの青年たちの語りとは思えないほどの“言葉の力”だった。政府や右派勢力、メディアからの激しい攻撃にさらされる中で、自らを鍛え上げ理論武装しなければ、彼らは生き残れなかったに違いない。その厳しい環境の中で闘ううちに培った “言葉の力”なのだ。

 長いインタビューを終えたとき、私は「彼らの語りを中心に据えた証言ドキュメンタリーにしよう」と決意した。その証言の合間あいまに、私がこれまでヨルダン川西岸やガザ地区で撮影・記録してきたパレスチナ人側の映像を組み入れていくことで、彼らの言葉を補強し、立体化する手法である。

「構成」の苦闘

 2019年夏の「沈黙を破る」スタッフたちのインタビューから、劇場公開にたどり着くまでに3年を要した。理由はいくつかあった。
 まず、編集に長い年月を要したことだ。6人の元イスラエル軍将兵たちへの12時間近いインタビュー映像を整理し、構成していくという難題と独りで延々と格闘しなければならなかった。

 言葉の正確さを期すために、12時間ほどの証言全てを文字起こしすることから編集作業は始まった。在日アメリカ人に、語りの一語一語を正確に英語で書き起こしてもらったのだ。その分量は膨大だった。その文章を丁寧に読み込み、使いたい言葉を選び抜き、その文章の要旨を短冊に書き込んでいく。その時、6人が識別できるように短冊に各人を色分けした。
 問題は、それをどう並べていくか、だった。
 まずおおざっぱなテーマ分けする。「生い立ちと経歴」「兵役体験」「覚醒」「活動と信念」「占領と併合」「『沈黙を破る』への攻撃」……。そのテーマごとに、該当する各人の短冊を振り分けていく。さらにテーマごとの短冊をどうすれば、「論理的な展開」つまり「滑らかな流れ」になるか、短冊の順序を変えて試行錯誤する。この段階で、6人の言葉は入り乱れる。
 そうやってできた構成にそって、その映像を選び抜き、並べていく。紙上の構成では論理だっているはずだが、実際、映像での語りを聞くと、流れがぎこちない。内容の反復も聞いていくと気になる。こうして修正した映像の並びに従って、今度は紙上の構成を並べなおす……。それを何度か繰り返すうちに、語りの流れが少しずつ滑らかになっていった──。

 「語りの論理的な流れ」と共に、私が証言ドキュメンタリーの構成で苦心したのは、観る人の意識をできる限り途切れさせないようにするための努力だった。どんなにインパクトのある言葉でも、ずっと聞いていると飽きて意識が途切れてしまう。それをできるだけ防ぐために、私は語り手の話があるテーマについて語り終えると、短い黒み(黒い隙間)を入れる。観客の意識を切り替えるためだ。
 さらに話題を大きく転換するとき、これまで長年撮影してきたパレスチナの占領地の現場の映像をインタビュー映像の間に入れ込む。もちろん前後の話題に関連する映像だ。それは語りの内容を観る人に具体的に映像でイメージをさせるためでもあるが、長く続く語りで意識が途切れる、つまり「飽きてしまう」のをできる限りに防ぐための手段でもある。

(続く)

『愛国と告白 ─沈黙を破るPart2─』

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