Webコラム

日々の雑感 419:
なぜ記録映画『愛国の告白』を世に問うのか〈後編〉

なぜ記録映画『愛国の告白』を世に問うのか〈前編〉

2022年10月26日

劇場探しと集客の不安

 もう一つの課題は、映画を上映してくれる劇場探しである。これが難航した。
 第一の問題は、映画の長さだった。34年間のパレスチナ・イスラエル取材の集大成となる最後のパレスチナ記録映画になるかもしれない。その映画に「この映像は記録として残しておきたい」「あの映像も……」と思うとなかなか切れない。「もしここで切ってしまえば、その映像はもう永久に世に出ることはない。だからどうしても残したい……」と考えてしまうのだ。結局4時間を超える長編映画になった。
 それを上映してくれる映画館を求めて、宣伝・配給担当の「きろくびと」中山和郎さんに東京のいろいろな劇場に当たってもらったが、断られ続けた。
 このままでは劇場公開は無理かもしれない。ならば短くするしかない。しかしどの映像にも私の思いが詰まっていてなかなか自分では切れない。そこで知人の映像のプロたちや一般の観客の意見を聞こうと、2021年の年末、会場を借りて試写会を開いた。
 テレビのドキュメンタリー番組を制作するプロデューサーやドキュメンタリー映画監督たちの意見は手厳しかった。「映画の流れが途中から切れていて、気持ちが離れてしまう」「この内容で2時間前後に縮められないとすれば、それは土井さんの甘えだ」……。
 私のように企画から取材、撮影、編集まで独りで映画を制作する最大の弊害は、「独りよがり」になってしまうことだ。そんな私にとって、試写会で他者の、しかも映像のプロたちの厳しい眼で批評されることは辛いが、不可欠なのだ。
 さまざまな厳しい意見を受けて、今年1月から再編集にかかった。指摘され、私自身が「なるほど」と納得できる部分を断腸の思いで切っていった。それでもどうしても切れない部分がある。長年現地に通い、現場を目撃し、人びとの思いを肌で感じ取ってきた「伝え手」として、どうしても伝えたい、伝えなければならないことがあるからだ。結局、1カ月ほど試行錯誤、悪戦苦闘しながら1時間ほど削って、2時間50分の映画にした。それがこの映画である。

 3時間以内にやっと収まった。しかしそれでも多くの劇場の支配人たちは首を縦に振らない。劇場側が上映を躊躇する理由は「長さ」だけではなかったのだ。テーマもまた大きな壁として立ちふさがっていた。
 現在、マスメディアの報道でもほとんど伝えられなくなった“パレスチナ”。日本人には「遠い問題」をテーマにしたこの映画は、観客を呼べないという判断があったのだろう。しかも英語の証言ドキュメンタリーで、ずっと字幕を読み続けなければならない。同じ証言ドキュメンタリー映画でも、耳から情報が入ってくる前作『福島は語る』とは条件が違う。劇場側が躊躇するのも無理はなかった。
 その中で新宿 K's cinemaが上映を決断してくれた。しかも3週間も。前作『福島は語る』では観客がたくさん入ったことを考慮してくれたのだろう。
 しかしマスメディアを対象にした試写会への反応の鈍さに、私は愕然とした。「こんな状況で、劇場に観客を呼べるのだろうか?」――その不安は劇場公開日が近づくにつれて膨れ上がり、押しつぶされそうになっている。

いま『愛国の告白』を劇場公開する意味

 なぜ今、「愛国の告白」という「日本人には遠い問題」をテーマしたドキュメンタリー映画を敢えて世に問うのか――と問われたら、「これは単に『イスラエル・パレスチナ問題』の映画ではない、“普遍性”を持つ映画だから」と私は答える。

 「沈黙を破る」のスタッフたちは、「他の民族と土地を占領し支配し続けることは、占領軍となる若い兵士たちだけでなく、イスラエル社会全体のモラル(道徳、倫理)も崩壊させてしまう」という危機感から、元イスラエル軍将兵として“占領”に反対の声を上げ行動する。それは政府や右派勢力が言うような「国への裏切り」「敵のスパイ」行為なのか。「占領”という自国の加害と真摯に向き合い、それを反省し是正しようと活動する」ことこそ、真の“愛国”ではないのか。
 それは翻って、私たち日本社会への問いかけでもある。
 自国の“負の歴史”を覆い隠し、「輝かしい歴史」を拾い集めて列記し、「この『美しい日本』を誇れ!愛せ!」と声高に叫ぶ日本の為政者たちは、「沈黙を破る」の若者たちを「裏切り者」「敵のスパイ」呼ばわりするイスラエルの為政者たちと重なって見えないだろうか。

 さらにこの映画の元将兵たちの声は、かつて中国をはじめアジア諸国に侵略し、“占領軍”となった旧日本軍の兵士たちが、なぜあれほどの残虐行為を犯してしまったのか、そして現在、ウクライナに侵略したロシア兵たちがブチャ虐殺に象徴されるような犯罪をなぜ起こしてしまうのか、占領軍兵士の深層心理を探る一つの手掛かりを暗示しているようにも思えるのだ。

「どこにいようと指一本で思いのままどんな車にも進め、右だ、左だ……出て行け 身分証明書を見せろとか……。18歳の若者が両親や祖父母ほどの年上に指示する。ある時点までくるとそれが快感になっていく。その快感の中毒みたいになる。
 鏡の前に立つ自分を見ると頭に“角”が生えている。この3年間 自分が“怪物”だったことにハッと気がついたんです。自分がやってきたこと、やらされたことに気づいたんです。一番ショックだったのはそれをやったのは自分自身だということ。そんな自分にふと気がつくと何かが自分の中で沈んでしまいます。自分が何をしたのか考え始めてしまいますから」(元イスラエル軍兵士、ユダ・シャウール)

「兵役時に、自分がやっていることにとても無関心になっていくのです。兵士は次の銃撃の機会を探します。実際に、部隊の雰囲気は破壊的なもので、暴力を行使したいのです。ハンマーを持って外の世界を歩き回る時、すぐに 打つ釘を探すのです。血に飢えた兵士になるんです。それが『優秀な兵士』なのです」
(元イスラエル軍兵士、アヒヤ・シャッツ)

「私は結局大きなシステムの歯車の歯の一つなのです。私がここでやっていることはイスラエルの軍隊の一部だからです。その軍隊は イスラエル政府に『占領の実行』という任務を命じられているのです。私の意図などどうでもいいことだということです。私は“抑圧のシステム”の一部なのです」(アブネル・グバルヤフ)

 これらの証言は、イスラエル軍兵士たちに限ったことなのだろうか。“占領軍”となって圧倒的な武力を持って民衆と対峙し支配するとき、若い兵士たちが共通に抱く心理ではないだろうか。

 この「愛国の告白―沈黙を破る・Part2―」は、「遠いパレスチナ・イスラエル」の物語に終わらないはずだ。私たちの国の社会の在り方、また私たち自身の生き方をも映し出す映画である──私はそう信じている。

『愛国と告白 ─沈黙を破るPart2─』

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