2022年11月22日
新宿 K's Cinema アフタートークより
錦田愛子さん:慶應義塾大学・准教授。現代中東政治、パレスチナ研究、移民/難民研究。著書に『ディアスポラのパレスチナ人』など。著書・論文紹介
(土井敏邦)錦田さんの経歴とパレスチナとの接点を教えてください。
(錦田愛子さん)私が最初にパレスチナに行ったのは学部生の頃で、3、4年生のとき、NGO「地に平和」のスタディーツアーでイスラエル側とパレスチナ側の両方に行ったのが始まりです。初めて行ったのは1998~99年だったので、まだ自由に移動ができました。第二次インティファーダ(2000年~2005年)が始まる前で、エルサレムに着いた翌日にはガザに入ることができました。イスラエルによる移動規制が厳しくなった今となっては、ガザに入るのがとても難しくなってしまったことを考えると、非常に貴重な機会だったと思います。私にとっては初めての海外旅行でもあったので、とても印象に残っています。
2014年のガザ攻撃の翌年、JVC(日本国際ボランティアセンター)の案内で、実に15年ぶりにガザに入りました。NGOのプロジェクトの成果の視察ということで、入る許可を取ることができました。かつては簡単な掘立小屋のような検問所を通るだけで入れたのですが、15年後のガザではイスラエルの他に、ファタハとハマースの両方の検問所を通る必要があり、非常に様変わりしていました。その一方で、街並みや難民キャンプの様子などはまったく変わっていないということに、すごく驚きました。98年~99年だとオスロ合意の後で日本政府がどんどん支援して、警察の宿舎などを作っていたんですが、2000年代に入り何度も起きたガザ攻撃でそれらは全部破壊されていました。道路もきれいにならず、むしろアスファルトがボロボロになった感じでそれがすごく印象に残っています。日本政府の支援で作られたガザ空港の跡地も見に行きましたが、滑走路には草が生い茂って建物も廃墟となっているようでした。
(土井)どうして“パレスチナ”へと向かっていったんですか?
(錦田さん)私は元々、政治学的な興味で、冷戦崩壊後の地域紛争に興味があったんです。カンボジアとか旧ユーゴスラヴィアの問題をずっとテレビで観ていたんですが、パレスチナ・イスラエルの問題はちょっと難しすぎるんで、よくわからないなあと思っていたんですね。ただ私の出身の広島の高校の先生が、パレスチナ支援のNGOのメンバーで、同窓会報で、「パレスチナに行ってきました」と書かれていた記事を見つけて、「ああ、行けるんだ」と思ったのがきっかけです。紛争地というとやっぱり、なかなか直接行くのは難しいというイメージをもっていたので。それからそのNGOと協力関係のある「地に平和」を紹介してもらって、そこの学生センターでしばらく活動して、渡航費を東京都に団体として申請したりして、初めて訪ねる機会を得たのがパレスチナ・イスラエルだったんです。
(土井)東大の法学部を卒業して、官僚になる道などいろいろな道があったはずなのに、なぜ敢えてこの道を選んだんですか?
(錦田さん)最初は弁護士になろうと思っていました。頑張れば司法試験を通ってたかもしれないけど、自分の選択にはまったく後悔はしていません。弁護士になって国内のいろいろな問題を解決していくことも重要な仕事だと思いますが、それ以上に人がコントロールできないようなレベルで政治が動いて、戦争が起きて人が亡くなっている。そういうことにすごく関心があったんです。
たまたま行ったパレスチナ・イスラエルの人びとが、いろんな意味で活き活きしていた、というのもこの場所に惹かれた理由でした。98~99年というのはエルサレムやテルアビブなど、イスラエルの各地で自爆攻撃も起こるようになっていました。それに抗いながら、でも私たちがここで生きていくんだと頑張っているイスラエルの人々や、一方でガザの難民キャンプでは本当にひどい状況に置かれながらも明るく生きている人たちが、すごく活き活きして見えたんですよね。自分の意思や気持ちを強く持って生きている、という感じで。それがとても魅力的で、ここにずっと関わっていきたいと感じたのがパレスチナのことを勉強しようと思ったきっかけです。
(土井)だからパレスチナ問題の第一人者である臼杵陽さんのところへ行こうと思ったんですか?
(錦田さん)最初は東大の中で大学院の博士課程に進学できればと思ったんですが、私が所属していた本郷の法学部というのは当時、まだ欧米先進国を対象とした研究が中心で、中東研究で指導教員にお願いできる先生がいませんでした。そもそもパレスチナ研究をされている先生で、博士課程を指導しておられる研究者が関東では見つからず。修士が終わってどうしようかと迷っていたときに臼杵先生(当時、大阪にある国立民族学博物館の地域研究企画交流センターに所属)がいいんじゃないかと勧めて頂きました。そちらで大学院を受験してなんとか合格できたので、大阪に移ることになりました。
(土井)中東の専門家として、パレスチナへ行ったことのある人として、この映画をどう観るんだろうなあと思っているんですが
(錦田さん)土井さんの映画は、他の映画も拝見させて頂いているんですが、どれもすごく貴重なパレスチナの政治的変化を映した映像記録だと思っています。この映画でも最後の方で、いろいろな局面の映像が出てきますが、それは現在のイスラエルによる攻撃直後の様子などを見て「爆撃されてかわいそう」というだけではイスラエルとパレスチナ紛争を理解できないということを示しているのだと思います。この地域がどういう紛争の歴史をたどってきたか、それぞれの局面で人びとがどういうふうに苦しんできたかということを理解する必要がある。その大事な場面を、土井さんの映画ではきちんと描き出している。だから授業でもときどき使わせていただいています。非常に貴重な映像による記録だと思っています。
(土井)私は、“占領”とは、人間が人間らしく尊厳をもって生きていく生活の基盤を破壊していく、いわゆる“構造的な暴力”だと思っていますが、錦田さんは占領についてどう思われますか?
(錦田さん)私もそうだと思います。それはまた、「沈黙を破る」のある元兵士たちの話にも通じることだと思います。思うように自由に生活できる瞬間がいちばん輝ける瞬間であり、そうした日常や当たり前の生活を奪っているのが占領だと、彼らも話していました。
例えば、農地です。ジャイユース村でオリーブの木が掘り返されるシーンが映画で出てきました。パレスチナ人にとってオリーブの木は、家族で代々受け継がれてきた土地の象徴なのですが、それが掘り返されることは、土地の所有権そのものを否定されることを意味します。つまり掘り返すことは物理的な暴力であるだけでなく、彼らの生活や、そこに根付いて生きてきたこと自体を否定する暴力でもあるのです。
またジャイユース村のある地域では、家と農地が分離壁で分断されているところもたくさんあります。つい昨日までは自分の農地にまっすぐに行って水や肥料をやることができたのに、突然、間に検問所ができて、イスラエルが決めた1~2時間の間しかトラクターや人が通れなくなる。自分の農作物の世話をするために通る道さえ分断されてしまう。そうなると、自分のものなのに、まるで自分のものでないかのように、所有権も生活のサイクルも全部、それによって破壊されてしまう。普通の生活ができなくなってしまう。それが占領で、人の生活を破壊してしまうものなのだと思うんですね。
(土井)現在、ウクライナ、アフガニスタン、シリアなどの問題に関心が集まり、パレスチナ問題などほとんど忘れられている。この時期に、そんな遠いパレスチナやイスラエルのことを考える意味はどこにあると思いますか?
(錦田さん)それは映画のタイトルにある「愛国」、つまり自分の国を愛し、大事にするとはどういうことなのかを問うという意味で、我々に関わってくると思います。この映画を紹介するとき、私はウクライナの話をしています。現在のウクライナ危機でも、ロシア兵の兵役拒否などの話が出ています。たとえばこの「兵役拒否」という共通点を通しても、普遍的に当てはまる問題がこの映画では語られていると思うんです。ロシア兵がウクライナに行くことを嫌がるのも、普通に日常生活を送っている人に銃口を向ける、その行為そのものに、やはり人として抵抗がある。それが自分の国のためになるのかということを考える、というのが理由であり、そういう基本的なことを問いかけ続けることは、やはりとても大事なことだと思うんです。
そういう意味では兵役拒否とはいろいろな戦争に通底するテーマであり、自国を大切に思ってとるべき行動という点では、我々にも関わってくる問題だと思います。
(土井)私はこの映画は日本人にとって遠い問題の映画ではなく、「愛国とはなにか、自国の加害に向き合うとはどういうことか」を、日本人に問う映画だと考えています。そういう私の狙いはこの映画で伝わっていますか?
(錦田さん)私がこの映画で出てくる証言をとても貴重だと思うのは、加害者の声がこんなに丁寧に拾われている記録はなかなかないと思うからです。個人的にはウクライナへのロシアの侵攻についても、こういう映画がつくられるべきだと思います。それはおそらく戦争の抑止に働く可能性もあるという希望をこめてでもあります。
一方で、特にイスラエルに関して兵役拒否がこれだけ問題になっている理由としては、もう一つ要素があって、それはイスラエルが国民皆兵だからなんですよね。男性も女性も全員兵役に行きます。なので兵役拒否はイスラエルの誰もにとって、他人事ではない。兵役では、戦場に行くこと自体が愛国の行為だとされます。でも「沈黙を破る」では、その戦場でやっている行為自体が間違っていると告発している。そしてその告発を“愛国の行為”だと思ってやっている。その二つの愛国のせめぎあいが、この映画ではすごくうまく描かれていると思います。
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