Webコラム

『愛国の告白』トーク 10:
ダニー・ネフセタイさん

2022年12月5日
新宿 K's Cinema アフタートークより

『愛国と告白』公式サイト

ダニー・ネフセタイ氏:木製家具作家。徴兵によって3年間イスラエル空軍に所属。退役後来日。家具会社に勤め、その後、木工房ナガリ家 を開設。著書に「国のために死ぬのはすばらしい? イスラエルからきたユダヤ人家具作家の平和論」

実態が外国にばれる映画

(土井敏邦)ダニーさんは、5年ぶりに3週間ほどイスラエルに帰られて、1週間ほど前に日本に戻られたばかりです。だからイスラエルのフレッシュな空気を伝えていただければと思います。
 「愛国の告白」を観る日本人の眼と、イスラエル人の眼は違うと思います。イスラエル人から観て、この映画はどう映るんだろう?

(ダニー・ネフセタイさん)イスラエルの極左の人から見れば、「よくやった」と思うけど、

(土井)「極左」というのは、一番「左」寄りの人ですね?

(ダニーさん)私みたいな。そうではなく、自分を「中道」と呼んでいる人でも、「ちょっと、これは止めてください!」と言うでしょう。なぜかというと、この映画の中でイスラエル人が一番おもしろくないのは、やったことがおもしろくないのではなくて、外国にばれるのがおもしろくないんです。国内で話すのは許せるけど、こんな恥を外国で見せることにはイスラエル人は耐えられない。
 かといって、「沈黙を破る」はイスラエルのどこでも、「どうぞ、どうぞ」となるかというと、そうではない。イスラエル内なら「どうぞ」だとしても、結局、「外国では止めてくれ」となります。
 この映画を観ると、私は「(イスラエル兵が占領地でやっていることは)やっぱりそうだったのか」「思った以上にひどかった」と思うけど、「『沈黙を破る』の活動はとんでもないこと」と見ている人はいっぱいいます。

(土井)ダニーさんの話で思い出しました。「沈黙を破る」ができたのは2004年です。その時、私はすぐに創設者のユダ・シャウールに連絡を取って、インタビューさせてくれと言った時に、彼は断ったんですよ。彼が言うには、「国内のメディアだったら、取材を受ける。でも海外のメディアはお断りする」と。しかし翌年の2005年には私の取材を受け入れた。「なぜ変わったんだ?」と聞いたら、「イスラエルの中でいくらやっても、現状を変えられないことがわかった。海外からのプレッシャーがないとイスラエルは変わらないと言ったんです。その辺の事情を説明してくれませんか?

(ダニーさん)南アフリカを見るとよくわかります。南アフリカも国内からはアパルトヘイト(注・人種差別と隔離の制度)は変わらなかった。しかし外国から圧力がかかってきた。外国にどんどん情報を流して、いろんな国が制裁を始め、それによって変わったんです。

 イスラエルもそこまで来ている。国内からそれを止めるのは不可能に近いです。私もイスラエル批判の発言をしているけど、イスラエルが嫌いなわけではない。イスラエルを改善するために、まさに「告白」して、イスラエルを直すために外から圧力をかけるしかないと私も感じている一人です。ユダのこと、よくわかります。国内から変えることは諦めるしかない。国内から変わるなら、もう20年前に変わっていました。でも変わっていない。悪くなる一方です。結局、いろんな国から、「止めてくれ、これは人間のやることじゃない」と言ってほしい。彼ら「沈黙を破る」も私もその一人です。

(土井)この映画の試写会をプレスセンターでやりました。その時に、イスラエル大使館からスタッフが観に来ていました。私は「あっ、この映画の上映が妨害されるかも」と心配しました。まあ劇場公開に漕ぎつけたのでほっとしているんですが。
 イスラエル大使館とかイスラエル政府からすれば、こういう映画を日本で見せることはまずいんですか?

(ダニーさん)おそらくまずいと思っていると思います。イスラエル大使館の仕事の一つは、とにかく「いいイスラエルをわかってもらう」ことです。「日本の国といろんな面で仲良くなる」ことが大使館の一つの仕事だけど、この映画を観ると、「えっ!イスラエルってこんな面もあったの?」と思う人もいる。
 だけどやっぱり頭に入れなくてはいけないのは、この映画はイスラエルの悪い部分を見せることが目的ではなく、「それを止めろ」というメッセージで出しています。これはイスラエル大使館に理解してもらうことは大変なことだけど、イスラエル大使館はそれも乗り越えなくてはいけない。もっと大人になるべきだと思います。

(土井)13年前に『沈黙を破る』 を劇場公開した時に、私はイスラエル政府から、5年間、プレスカードの発行を拒否されました。それがないとどういうことになるかというと、まずガザ地区に入れません。ヨルダン川西岸でも取材する時でも、イスラエル兵に「何をしているんだ?」と言われた時に、プレスカードがないと、取材したものが没収されたりする。また空港に出る時に、徹底的に調べられる。だからプレスカードがないことは、ジャーナリストにとって“致命傷”なんですよ。

 「イスラエル政府がそこまでやるのかな。私みたいにたいして影響力もないジャーナリストに、どうしてここまでやるんだろう?」と思いました。それはどういう理由があると思いますか?

(ダニーさん)やはりこういう映画を作る人はおもしろくない。結局、イスラエルの恥をばらすことになる。
 私も今回、イスラエルに5年ぶりに帰ったとき、「日本で選挙権あるんでしょ?」と聞かれ、「持っていません」と答えました。「なぜ?」と聞かれると、「私はイスラエル国籍だからです。日本国籍は持っていません。日本は二重国籍を認めていないから、日本国籍を得るためにはイスラエル国籍を捨てなければならないから」と答えました。私は土井さんと違って、イスラエル国籍だから、何を言っても、イスラエルは私を止められない。「あなたはイスラエルに入るな」とは言えない。それはイスラエルの法律です。私が日本国籍になったら、私も(入国を)止められる可能性がある。私がイスラエルの悪い所を批判的に言うから。
 そういうことを考えると、私はイスラエル国籍の方が有利だと思っています。5年に一度くらいしか里帰りしないけど。
 私のような活動をしている人は、イスラエル人であっても、イスラエルが「いや、あなたには入ってほしくない」と言うことはものすごくあり得ると思います。イスラエルにはいろんな面でまだ自由があるけど、外に恥をさらすことは相当、痛みを感じます。

世界一道徳的な軍隊?

(土井)私が映画のタイトルに「愛国」と言う言葉を使ったことに、違和感または「土井が『愛国』? いつから土井は右翼になったんだ?」と反発する人もいます。しかし私はあえて映画タイトルに「愛国」という言葉を使うことで、「ほんとうの『愛国』って何なんだ?」という問いかけをしたかったんです。

 例えば、今の右傾化するイスラエルの在り方を非難するダニーさんは、非国民なのか。この占領を続けていけば、兵士がモラル(道徳・倫理)を失ってしまう、さらに社会全体がモラルを失ってしまうという危機感から、占領に反対する「沈黙を破る」のメンバーたちは、非難されるような「裏切り者」「敵のスパイ」「非国民」なのか。いや、イスラエルの将来を案じ、命懸けで占領に反対する彼らこそ、真の“愛国者”ではないのか。

 一方、安倍元首相や自民党のように、自国の加害歴史を隠し、過去の歴史のいいとこ取りをして、「ほら、日本はこんなに美しい。この日本を誇れ! 愛せよ!」と強制することがほんとうの「愛国」なのか。
 親が子どもを愛するとき、子どものいい所も子どもの欠点も丸ごと引き受けて愛するじゃないですか、それが「愛する」ということではないですか。
 ダニーさんはこの「愛国」について、どう思われますか?

(ダニーさん)このイスラエルの中にいると、彼ら「沈黙を破る」の活動について聞くと、イスラエル人は、「あんたたちはイスラエルが嫌いなのか。この『沈黙を破る』のメンバーを何としても止めなくてはいけない。それがイスラエルを守ることだ」と勘違いしている。しかし彼らの活動を止めることによって、イスラエルを守っているのではない。この「支配」を守っているのです。守っているのは、イスラエルのとんでもない行為が続くことを守っています。
 しかしイスラエルの中にいると、それはとてもわかりづらい。「自分たちは『沈黙を破る』の彼らを非難して、一生懸命、イスラエルために弁護している」と思っているけど、実はそうじゃない。守っているのはただ一つ、「イスラエルが武力でパレスチナ人の人権無視を続けること」を守っているだけです。

 彼らは自分たちは完全に「愛国者」だと思っている。そう思っていなければ、彼らへの妨害活動はしないでしょう。「もういいや、私たちは、もしこれから予備役を拒否するかもしれないし、もしかしたら外国へ移住する」という人もいるでしょう。外国に移住するイスラエル人は毎年、何千人もいる。「イスラエルという国は住むもんじゃない」と思う人がいっぱいいます。
 しかし「沈黙を破る」の彼らは、そうではなくて、イスラエルの中から変えようということで、まさに“愛国者”だと私は観ています。

(土井)ある人に言われたけど、「この映画をイスラエル政府が嫌がる理由の一つは、あなたがタッチしていてはいけないことにタッチしたからだ」と。それは、イスラエル社会にとって、イスラエル軍はとっても神聖(sacred)な存在であり、それを批判するということは絶対にやってはいけないこと、タブーなのだ」と。そういうことを言う人がいるけど、その辺はどうですか?

(ダニーさん)映画の中であったように、「イスラエル軍は世界一道徳的な軍隊」と、私たちはずっと言われて育ってきました。軍隊の中にいる時は、「これほどヒューマニストの軍隊はこの世の中にあるか」とずっと信じていた。でも外からいろいろ考えると、「ヒューマニスト」という言葉はありえない。ヒューマニストの軍隊がこんなことをやるはずがない。でもイスラエルでヒューマニストの軍隊ではなかったということは、イスラエルにとって、今までの全てのことが無になってしまう。これはイスラエルとしては耐えられないんです。

(土井)イスラエル軍はやはり非難してはいけない存在なんですか?

(ダニーさん)徴兵制があるから、自分もいたし、自分の子どもも行くから、親としては「お前がこれから行くところはとんでもないところ」とは言えない。やはり自分の子どもにも「私がいた軍隊はほんとに素晴らしい軍隊。もちろん人を殺すことはあるけど、これは仕方がない時だけで、とにかく一般人を殺さないように世界一努力をしている軍隊だ」と言う。自分の子どもにも同じことを言わないと、自分の子どもと向き合えない。「ちょっと待って。なんで私はとんでもない軍隊にいかなければいけないの?」「いやいや、あなたが行く軍隊は、世界一ヒューマニストの軍隊だから」と。
 しかし軍隊に入った若者は「えっ、違うじゃないか」という疑問も出てくる。親が自分も軍隊にいたけど、親としてその疑問に答えられない。それで結局、これは「見せるな!」ということにつながります。

「同じ人間」だと見せる映画を恐れる

(土井)私が初めてイスラエルに入ったのは1978年、そしてジャーナリストとして入ったのは1985年、1年半、ヨルダン川西岸に住んでいました。
 その頃は労働党が力を持っていたし、つまり左派ですよね。しかしまたネタニヤフが出てくることで、連立を組むのはおそらく極右政党。「パレスチナ人を追い出せ」と主張している連中たちですよ。
 なぜイスラエル社会はこれほど右傾化してしまったんですか?

(ダニーさん)私が小学4年生だった1967年の第三次中東戦争のとき、イスラエルがガザ地区、ヨルダン川西岸、ゴラン高原、シナイ半島を占領してはじめ、向こうの人たち(パレスチナ人)は理解できていなかった。何が変わったのか。
 パレスチナ人は経済的にはものすごく裕福になりました。東エルサレムの市場とか、それまでチマチマやっていたけど、イスラエル中の人が、そこに通い始めて、ものすごく裕福になった。
 でもその占領が55年も続くと誰も思っていなかった。一時的な経済的なブームで、その後のことはその後で考えましょうみたいになったけど、だんだん占領が続くことで、いろいろなギクシャクが出てくる。するとイスラエルはさらに圧力をかける。そうするとパレスチナ人側が反発する。それによって、だんだんイスラエルの中で「彼らはテロリスト」ということになった。

 今は想像しづらいけど、私が高校2年のとき、1972年にヨルダン川西岸をヒッチハイクして、ヨルダン川西岸でもガザ地区でも、どこでも喫茶店でコーヒーを飲んで、ものすごく歓迎された。誰も私を殺そうとはしなかった。治安がいい、安全、恐いことも何にもない。これがじわじわ変わることによって、「パレスチナ人はこういう人間だから」、と差別するようになる。しかし人間は自分の自由を求めると反発するようになる。

 そうすると、こんな強いイスラエル軍に対してどうしても「テロ」を使う。私はテロを肯定していませんが、でも彼らはテロをします。エルサレムでまたバス爆発があるとします。テレビを見ている親子の会話。親「またパレスチナ人のテロリストがバスに爆弾をしかけたよ」、子「なんで?」、親「パレスチナ人ってそういう人間なんだ!」と。
 「パレスチナ人とは何か」というと、イスラエル人を殺したい人間……、そう子どもは思うようになるのです。
 私はずっと見ています。あんなに安全なところから、ほんとうに怖いことになったのは、そのプロセスがよくわかる。結局、今のように血まみれになっちゃって、結局、イスラエル人がイスラエルの占領を信じて、「向こうはそういう人間だから」ということで少しずつ、じわじわと右傾化が進んでいったんです。

(土井)いま話題になっている映画『Farha(ファルハ)』ですが、イスラエル政府がものすごく怒っている。この映画について説明してくれませんか?

(ダニー)この映画はヨルダンが作った映画で、1948年のナクバ(注・イスラエル軍によってパレスチナ人が故郷や家から追い出された大厄災)、つまりイスラエルの独立戦争によって、パレスチナ人の土地を半分奪って、イスラエルという国は独立できたけど、それについていろいろな映画があるし、いろんな考え方があるけど、私はおととい、この映画をNetflixで観たばかりです。
 この映画の中では、イスラエル軍のものすごい大虐殺も見せてはいない。主人公の娘の前である家族が殺されます。それでもとんでもないことだけど、戦争でよく見られることです。

 一つの家族が殺される映画に、イスラエル政府は猛反発しなくてもいいと思うけど、なぜイスラエルが反発しているかというと、私の憶測では、その映画の中のパレスチナ人は私たちと“同じ人間”であることを見せているからだと思います。

 この主人公の女の子は、「自分が結婚する前に、まず私は町の学校へ行って先生になって村に戻る」とお父さんと約束します。これは、イスラエル人として、国家として耐えられない。そこに反発したと私は見ています。

 なぜかというと、イスラエルとしては、パレスチナ人を「敵」として見せたい。しかしこの映画では、彼らは「テロリスト」として見せない。パレスチナ人が「テロリスト」ではなく、普通の若い娘が「学校へ行って、先生になりたい」と言っている。「私はテロリストになりたい」「シャヒード(殉教者)になってイスラエル人を殺したい」とは言っていない。普通のイスラエル人の若者と同じ。これはイスラエルの教育として、「おかしいぞ。彼らはテロリストではない」と観る人に感じさせるのでイスラエルは反発しているのだと思います。

木工房ナガリ家 著書:国のために死ぬのはすばらしい?

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