Webコラム

『愛国の告白』トーク 12:
山本薫さん

2022年12月8日
新宿 K's Cinema アフタートークより

『愛国と告白』公式サイト

山本薫さん:慶應大学専任講師。アラブ文学・文化研究。翻訳書に『 エミール・ハビービー『悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事』。

パレスチナ文化を紹介

(土井敏邦)山本薫さんがまた東京外大アラビア語科の学生の頃に、当時の「ニュースステーション」で私が番組を作るときに、アラビア語の通訳をお願いしたことがありました。学生時代からもう通訳ができる人だったんですよ。当時から飛び抜けてアラビア語ができる人で、今や日本を代表するアラビア語通訳の一人です。パレスチナのサブカルチャーまでカバーしていらっしゃる。山本さんご自身から経歴をご紹介いただけますか。

(山本薫さん)私は東京外国語大学のアラビア語学科に入ったものですから、アラビア語を勉強するところから始まったんです。当初は目的もなく、「語学ができるといいことがあるかなあ」ぐらいだったんですけど。

(土井)なぜアラビア語だったですか?

(山本さん)それも単純に、やっている人も少ないけれども、調べてみたら、20カ国以上のとても広い地域で使われている、だからそれができたら、役に立つんじゃないかという、それくらいのことだったんです。

 パレスチナに対する関心など全くなくて、語学から入ったんです。3年生になる時に、シリアに留学したんです。1年間、語学留学をしました。今シリアというと、「内戦でたいへんなのに、どうして?」と思われるかもしれませんが、当時は安定した穏やかな国で、「まだ外国との接点がないところが、語学勉強するにはいいよ」と言われて、何もわからず行ったんです。そこで現地の文化のおもしろさに惹かれていったんです。

 アラビア語ができるようになっちゃったんで、今後は、この語学を使って何ができるんだろうと考え始めていた時に、最初は求められるまま通訳や翻訳の仕事をしていました。
 たまたま第一次湾岸戦争(1990年8月~1991年4月)が起きて、アラビア語のニュースを知りたいという需要がすごく高まる中で、テレビ局の仕事をやっていて、土井さんともその時期にお知り合いになったのをよく覚えています。

 やがて、だんだんそれだけでは面白くなくなってきました。ちょうどその頃、パレスチナでは1993年のオスロ合意(イスラエルとPLOとの和平合意)ができ、パレスチナへの関心が日本でもある程度高まって、「オスロ合意はこれからどうなるんだ?」と前向きの期待があふれていた時期ですよね。
 そういう時に現地へも行き、そして私は元々、文学や文化に、映画や音楽を含めて勉強して、自分も好きだったので、現地のいろいろなアーティストの人たちと知り合う機会があったり、彼らを日本に呼ぼうとか、いろいろな動きが活発だったので、そこでアラビア語ができるからということで、通訳をしたり、コーディネートに関わったりして、私が求められていて、やりがいもあった。

 ある種、とてもいい時期で、パレスチナに対する日本人の見方も、それ以前の「テロリズム」や「日本赤軍」だみたいな古い考え方ではなくて、インティファーダ(注・イスラエルの占領に抵抗する民衆蜂起)という民衆の動きがあって、新しいカルチャーが生まれて、若者が中心で、みたいなことへの関心が日本でも高まっている時でした。私も若者世代、同世代の一人として、日本に紹介したりとか、いいタイミンだったという感じです。

(土井)ネットで調べたら、「ラップ」とか「ジェンダー」とか「社会運動」の論文まで書いておられる。

(山本さん)論文も書いていますし、エッセーみたいなものも書いています。私は文学研究者なんですが、文学のことで真面目な論文を書いても、一般の人にはなかなか届かないですから、研究もしつつ、一方で通訳とか作品紹介みたいなかたちで、映画でいいなあと思ったら、上映会をやったり、文化紹介のような仕事も、かなり力を入れてやってきました。

(土井)パレスチナの映画もずいぶん日本に紹介されましたよね。

(山本さん)劇場で上映する機会がなかったものを上映しました。一番大きかったのは、パレスチナのラッパーたちを描いたドキュメンタリー映画です。日本では『自由と壁とヒップホップ』というタイトルで公開されましたけど、あれはほんとうに自分で観たくて、また日本の方に観てほしくて上映したんですけど。あとは映画祭にかかっている映画を解説したりとか、字幕を監修したりとかいう形で関わっている作品もありますね。

自由と壁とヒップホップ

希少なイスラエル側からの発信

(土井)この映画は3時間バージョンですが、オリジナルは5時間です。去年12月に日比谷図書館のホールで一日かけて試写会をやった時に、山本さんも来てくださって、3日前にはこの劇場でも観てくださったんです。
 アラビア語が堪能で、パレスチナの文化や映画にも詳しい山本さんがこの映画をどうご覧になったのか、とても不安ですが、率直な批判を含めて、聞かせていただけませんか。

(山本さん)前作品『沈黙を破る』の続編と位置付けていいと思いますが、13年前のその作品は私が繰り返し観させていただいている作品です。
 大学でパレスチナのことを教える時には必ずこの作品を観せて、書籍版「沈黙を破る」 もリポートの課題としています。それはなぜかというと、授業で半期かけて、パレスチナの歴史から始まって、占領や難民の話だとか、いろいろ資料を見せて説明しています。
 すると必ず学生からきかれるのが、「こういうことをされてパレスチナ人がたいへんだということはよくわかった。だけど、イスラエルの側がどうしてこんなことができるのか、彼らはいったい何を考えているのかということがわからない。わかりたい」と。十数回の授業をやっていくと、後半以降、必ずみなが言うことなんです。

 この土井さんの作品を観せていただく前は、そこを伝えられる材料がなかなかなかったんです。私の知り合いでイスラエル出身の方で、イスラエルの徴兵のことやイスラエルの世論などに詳しい方にゲストで来てもらうようなことはしていたんですけど、やはり映像の力は大きくて、インタビューであっても、生身の人間が語っていることは、内容だけではなくて、表情であるとか、言いよどみであるとか、それを含めて、ものすごくインパクトが大きい。上映して学生の感想を読むと、とてもよく伝わっていることがわかるんですよね。

 そこから十数年経って、正直言って、この間のパレスチナの状況は変わっていないし、「沈黙を破る」のメンバーも世代交代はしたけど、活動の内容も、言っている内容も、向き合っている困難も変わらないか、さらに深まっている。13年前の作品でもまったく色あせていないんです。

 さらに、この間にあったさまざまな出来事についての、土井さんの取材の内容も織り込まれている。
 そしてこの13年、「沈黙を破る」のメンバーがこの活動をちゃんと続けてきたんだと改めて確認するだけでも、ものすごい感銘を受けました。だから続編といっても非常に意味のある、内容の濃い作品であると感じました。

普遍的な問題を凝縮したパレスチナ

(土井)13年前の『沈黙を破る』は結構、反響があったんですよ。イスラエル側からの視点という目新しさがあったということと、当時まだパレスチナ問題が、テレビでも「中東問題の核」として位置づけられて注目されていた。その中にできた映画だということで、非常に注目をされた。

 ところが13年後の今、シリアの内戦と難民問題、アフガニスタンのタリバン復活、そして今やウクライナ……。その中でパレスチナが霞んでいる。みなさん、ほとんど聞かれないでしょ? ニュースで御覧にならないでしょ? 伝えられないんですよ。パレスチナが伝えられるのは、映画の中にあったようなガザ攻撃のように、人が死んだり破壊されないと伝えられない。

 このような中で私の映画を出していくことはとても難しいです。残念ながら、お客さんがたくさんは来てくださらない。僕は一生懸命作ったんだけど、どうしてみなさんが来てくれないんだろうという悔しさがあるんです。

 山本さんは、どう見ていますか? 私は、この13年間でパレスチナに対する日本人の関心がぐっと落ちていることを、映画のお客さんの数からそれを実感しているですが。

(山本さん)まったくその通りだと思います。今話されたような事情がありますけど、結局、同じシチュエーション(状況)が変化する可能性もなく続いていると、追っている方も辛くなっちゃうんですよね。先ほどオスロ合意の話をしましたが、1990年代の頃は、「これから良くなるだろう。解決に向かうだろう」という希望があったんですが、完全に膠着状態になってしまうと、どんなに関心を持っていた人でも、その関心を失ってしまうんですよね。

 ウクライナ情勢についてもみなさん、お感じになりませんか?
 ロシアの攻撃が始まった直後の1~2カ月の報道にしろ、ニュースを追う我われにも熱量がありました。しかし3、4カ月、半年と経つと明らかに低下してしまう。私自身も感じるわけですよ。2カ月ぐらいでウクライナが反撃してロシアを追い出していれば、「よかった」で終わるんですが、膠着していて、終りが見えないと、不思議なくらい人間の関心が持続しないですよね。

 パレスチナの場合はオスロ合意から30年近く経ってしまった。別の解決策もまったく見えない。たまに衝突は起こるけれども、じゃあ何が解決なのか、どこがゴールなのか、こちらも何も言えない。パレスチナ人本人もわからない。こういう状況って人間辛いので、それで関心が減ってしまうことはよくないけど、致し方ないのかあという気もしています。

(土井)パレスチナの問題って、日本人にとって「遠い問題」なんですよ。たくさんある国際問題の一つに過ぎない。ましてや今や忘れられている。
 こういう状況の中で、こういうパレスチナの実態を日本人に伝えることの意味って何だろうと思います。とくに映画への反応がよくなければ余計に、自分に問うんです。「俺は何をやっているんだろう? 何でこんな遠い問題をやっているんだろう? なぜ“パレスチナ”を伝えるんだ?」って。自分でもわからなくなる時があります。
 山本さんがそういうところをどうお考えですか?

(山本さん)パレスチナ問題が、日本人から遠い問題ではないというところをいかに示していけるかに懸かっていると思います。

 パレスチナ問題は、近代以降、人類が直面してきたさまざまな課題を凝縮したような問題であるわけです。植民地主義の問題とか、レイシズムの問題、アパルトヘイトの問題など普遍的な問題、人間が克服しなければいけない課題が詰まっている。多くの日本の方が「もう日本ではとっくに克服して通り過ぎた」と思っているけど、土井さんが映画の中で追及しているようなことが、日本の中にもまだたくさんあって、そうしたパレスチナと日本の共通の課題をいかに浮彫りしていくかということだと思います。

 パレスチナの問題を消費対象にせず、それこそ人が死んだ時だけ注目するのではなくて、歴史をちゃんと遡って学んでいくこと、またそれを伝えていく努力が欠かせないと思います。先ほど授業で教えていると言いましたけど、最初は「パレスチナというこんな小さいところを大学の授業でやることに何の意味があるのか」とみんな言います。

 だけどヨーロッパでユダヤ人がなぜ差別されたのか、なぜ迫害やホロコーストが起きたのか、どうしてその代償を、何の関係もないパレスチナの人たちが払わなければいけなかったのか、その背景にはイギリスの植民地政策がある、そして現在でもこの構造が続いている。人種差別、アパルトヘイトの問題、様々な格差や差別の問題がある。これは決して一地域の問題ではない、人類の普遍的な課題であるということをちゃんと伝えると、みんなわかってくれるという手応えがあります。

 こういう映画を通じて、表面的ではない、土井さんがいつもおっしゃっている「構造的な暴力」について粘り強く訴えていくしかないし、それだけの価値のあるテーマだと思っています。価値があるというのは変かもしれないけど、パレスチナを通じて世界を知り、歴史を知る、そして未来に向けて世界をどうしたら少しでも良くできるのか考える。パレスチナはそういうテーマであり、土井さんの映画はそういうことを問いかけている作品であると思って、いつも観させていただいています。

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