予告編/作品データ
2011年 山形国際ドキュメンタリー映画祭正式出品
2010年 座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル奨励賞受賞
『"私"を生きる』
- 監督・撮影・編集: 土井敏邦
- 編集協力: らくだスタジオ・森内康弘
- デザイン: 野田雅也
- 製作: 『«私»を生きる』制作実行委員会
- 配給・宣伝: 浦安ドキュメンタリーオフィス、スリーピン
- 日本/2010年/日本語/カラー/デジタル/138分
2011年 山形国際ドキュメンタリー映画祭正式出品
2010年 座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル奨励賞受賞
『"私"を生きる』
職員会議では職員の意向を確認するための挙手・採決を行うことを禁止され、卒業式や入学式で国家である君が代の斉唱・起立を職務命令で強制されるなど、教師たちの言論が、急激に統制されてきている東京都の教育現場。
その巨大な流れに抗う3人の教師たち、根津公子、佐藤美和子、土肥信雄。教育における自由と民主主義を守るために孤独な闘いを続ける彼らに対する弾圧は、身体をも蝕むような理不尽さに満ちている。
根津公子さん「『教員を続けるために起立しては』と言われるけど、私は『いまの状態は危ない。上からの命令に黙って従うことは恐ろしい明日を創ってしまう』と子どもたちに身体ごと訴え、伝えていく責任があります。それが今、一番必要な教育だと思っています。」
土肥信雄さん「教育がどんどん右傾化している。言論の自由がなくなったときに、戦前の日本に戻るのではないかという恐怖心があります。以前は不安でも言えなかったが、今いわなければ、あの時の一点になっていなければ後悔する、その後悔だけはしたくなかった。」
佐藤美和子さん「つらいと感じる自分の存在に意味があると思えるようになりました。カナリヤが炭鉱の危険を知らせるように、強制がもたらす苦しみ、今の学校の危険、この国が進む方向の危険を知らせる役割を担うことができれば幸せです。それが私の役目だと思います。」
『”私”を生きる』は教育論を超えて、自分が自分であるために歩んできた人々の物語である。
いま学校で、そして日本で何が起きているのか?
“教育現場での言論と思想の統制”に抗う3人の教師たちの姿をみつめる
本作では、日本社会の右傾化、戦前への回帰に抵抗し、“自分が自分であり続ける”ために、凛として闘う3人の教師の生き様が描かれている。
2011年11月の大阪市長選で橋下徹前知事が当選するなか、12月には出演者の土肥信雄元三鷹高校校長の非常勤教員採用拒否訴訟の地裁判決、そして、2012年1月には同じく出演者の根津公子さんの君が代不起立に伴う停職処分取消訴訟の最高裁判決が予定され、その動向が注目されている。彼らの真摯な思いは、果たして行政を、教育を動かすことができるのか。3人の今後に目が離せない。
1950年神奈川県生まれ。元中学校・家庭科教員。日の丸、君が代、従軍慰安婦、ジェンダーフリー教育などで東京都教育委員会と対立し、卒業式・入学式での君が代斉唱での不起立に対する処分をはじめとして、のべ11回の懲戒処分を受ける(うち9回は停職・減給処分)。現在、6件の「君が代」不起立処分取消し訴訟を係争中。そのうち、2006年3月卒業式の際での「君が代」不起立に対する処分(停職3ヶ月)の取消訴訟については、2011年11月28日の最高裁弁論を経て、2012年1月16日に最高裁判決が出される。著作に『希望は生徒』(影書房、2007年)。2006年に第18回多田謡子反権力人権賞を受賞。
1954年神奈川県生まれ。小学校教員・音楽専科。2001年3月の卒業式で、校長から「君が代」のピアノ伴奏を指示されるが、信仰上の理由などを挙げて伴奏しない旨を申し出る。前年の卒業式では、校長が生徒や教職員の意見を無視して日の丸掲揚を強行するなか、子どもたちに「日の丸が掲揚されても決して強制はされず自由です」と伝えるためピースリボンに似た手作りリボンをつけたところ、職務専念義務違反として訓告処分を受ける。これに対し、思想・良心・信教・教育の自由を不当に制約するものとして2004年に提訴、同時に君が代伴奏の強要と弾かないことへの報復の不法性についても争われたが、2008年の最高裁上告棄却で訴えは退けられる。著作に『なぜ、「君が代」を弾かなければならないのですか』(いのちのことば社、2003年)など。
1948年京都府生まれ。元都立三鷹高校校長。現在、法政大学、立正大学非常勤講師。1972年東京大学農学部卒業。商社勤務を経て、通信教育で教員免許取得後、小学校、高校教諭。2002年都立神津高校校長、2005年より都立三鷹高校校長。2009年定年退職。校長現職中に「職員会議において職員の意向を確認する挙手・採決の禁止」(通知)の撤回を東京都教育委員会に要求。2009年度非常勤教員不合格(97%合格)。現在、「学校の言論の自由」と「非常勤教員不合格」について東京都に損害賠償を求め訴訟中(2012年1月30日に地裁判決)。著作に『それは、密告からはじまった ─校長vs東京都教育委員会』(七つ森書館、2011年)など。
(完成披露上映会での感想より)
教師一人ひとりが真剣に子供の教育に向き合い、誠実であろうとしたときに、それが許されないことのいびつさを、私もとても重く受け止めました。(会社員)
至言に満ちた、文字通りの「前衛」人の生き方を見事にとらえた映画と思います。お三方ともすばらしい教師ではないですか。このような財産を敢えて放逐しようとする都教委は何を血迷っているのであろうか。(司法書士)
映画を観終わったあとの気持ちをもう一度なぞってみると、自分にウソをつかず“私”を生きるということは、時として、人生を失いかねないほどつらいけれども、それでもなんとか貫くことによって、人生の深い意味での幸せがもたらされるような気がしました。バラ色の幸せではないけれども、雨にうたれて自分の体がくっきりと浮かびあがるような幸せというのでしょうか。(主婦)
自分自身の仕事への向き合い方、生徒への向き合い方、自分自身の内面などの中途半端を痛感させられました。私は“私”を生きられていないな、と。根津さんや佐藤さん、土肥さんと同じようには生きられないけれど、どうしたら“私”を生きられるのか改めて考えていかなければならないと思わされました。いろいろ力湧いてきました。(公立高校教員)
教育現場で声を上げている人に身をつまされる。番組作成では『本当のことを言って下さい』とお願いする。真実を追求することが求められる。だから、高裁の場では本当のことを言わなければならないと思った。従軍慰安婦問題でもそうだが、私たちは天皇制・日の丸・君が代問題を避けることはできない。(元放送関係者)
頭がノックアウトされた理由は何かと考えました。まずはこの社会に、真の意味で強く優しく、子どもと未来とを思う教師がいる、という喜びと希望です。理不尽で許し難い組織の命令に屈することなく、一人の人間としての強靭さを持ち続ける三人の姿を見ながら、そして言葉を聞きながら、なんとも言えない嬉しさを感じておりました。反面、「個」あるいは「人間」としての存在を封じ込めようとする学校管理者や教育委員会や都や司法には、煮えたぎるような怒りを覚えます。一人の「私」である教師を殺すような学校には、「私」という心をもつ人間を育てることはできない、と思います。(テレビ局ディレクター)
どい・としくに
1953年佐賀県生まれ
フリー・ジャーナリスト
1985年以来、パレスチナをはじめ各地を取材。1993年よりビデオ・ジャーナリストとしての活動も開始し、パレスチナやアジアに関するドキュメンタリーを制作、テレビ各局で放映される。2005年に『ファルージャ 2004年4月』、2009年には『届かぬ声—パレスチナ・占領と生きる人々』全4部作を完成、その第4部『沈黙を破る』は2009年度キネマ旬報ベスト・テンの文化映画部門で第1位を獲得。現在、『飯舘村─故郷を追われる村人たち─』、『ガザに生きる』全5部作を制作中。主な著作に『パレスチナの声、イスラエルの声』(2005年)、『沈黙を破る─元イスラエル軍将兵が語る“占領”─』(2008年)(いずれも岩波書店)など。
「長年、“パレスチナ” を追い続けてきたあなたが、なぜ日本の教育問題をテーマにしたドキュメンタリーなのか」──ドキュメンタリー映画『“ 私”を生きる』の企画・制作の過程で、また完成後も多くの人にそう問われてきた。
私はジャーナリストとしてパレスチナやアジア、そして国内の現場で「問題」を追い伝える一方、取材を通して数えきれないほど多くの人と出会うなかで、それぞれの“人の生き方” を目の当たりにしてきた。それは同時に、それら様々な人の“ 生き方”の“ 鏡” に私自身の“ 生き方”を映し出すことでもあった。そして自問させられるのだ。「では、お前はどう生きるのか」と。
『“私”を生きる』で、私は「教育問題」や「日の丸・君が代問題」を論じようとしたのではない。もし私が教育現場に身を置き、根津公子さん、佐藤美和子さん、土肥信雄さんの立場に置かれたら、私はどう行動しただろうかと、彼らをカメラで追いながら、ずっと自問していた。正直に告白すると、私は彼ら3人のような行動はとれないと思った。私なら、生活の基盤である職場で「あえて波風を立てることなく、周囲の環境と状況に順応し、穏便に過ごす」道を選んだはずだ。その方が楽だし、「心穏やかに」日々を過ごせると思ったからである。
しかし、彼らの生き方を追えば追うほど、私はもう一度、自問せざるをえなくなった。「穏便に順応することで、ほんとうに自分は『心穏やか』にいられるのだろうか」と。自分が心から納得できない行動をとり続け、“ほんとうの自分”を偽って生きることに、自分は「心穏やか」であり続けられるだろうか、そんな自分を受け入れられるのだろうか、いったい自分はどういう生き方をしたいのか。この映画の制作は、そういう自身への問いを追う作業でもあった。
もう1つ、私にはこの『“私”を生きる』を制作する動機があった。それは“日本人ジャーナリスト”として、日本の現状を前にして何をすべきか、という問いから始まった。
この制作を思い立つ直前、自民党の安倍政権下で教育基本法が改悪され、軍備の放棄を謳った日本国憲法の改定の議論も高まっていた。“戦前への回帰”とさえ思えるほど急激に右傾化する日本社会を目の当たりにし、日本人ジャーナリストとして、遠い“パレスチナ”を伝えるだけでいいのか。足元の深刻な現実を前にして日本人ジャーナリストとして果たさなければならない責務があるのではないか。そういう焦りに似た思いが私の中で抑えがたいほど膨らんでいった。
では何を伝えるべきか。長い暗中模索の末、思い当たったのが、東京都の“教育現場”だった。石原都政の下、急速に進行する“ 教育現場での思想・言論統制” は、日本の右傾化の象徴のように私には思えたのである。
その教育現場での思想・言論統制と右傾化は、この映画の企画から数年が経った今、東京に留まらず、大阪など全国に波及しつつある。今、ドキュメンタリー映画『“ 私”を生きる』を全国で劇場公開する意味がますます大きくなっている。
土井敏邦
上映スケジュールやイベント内容は変更になる場合があります。お出かけの前に映画館のサイトや映画館の問い合わせ窓口にてご確認ください。
【上映終了】
【終了】イベント
上映後、池田知隆さん(追手門学院大学客員教授)と武慎太郎さん(元堺市立中学社会科教員)によるトーク有
【終了】イベント
【終了】イベント
【終了】イベント
『“私”を生きる』上映会&トークセッション
ゲスト:根津公子さん
(「根津さんと学ぶ どぅたっち春の学校」というイベント内での上映です)
3月24日(土)土井敏邦監督の舞台挨拶
4月1日(日) ゲスト:土肥信雄さん(出演者)
4月1日、2日、土井敏邦監督による舞台挨拶
上映終了後、土井敏邦監督、土肥信雄さん(出演者)による舞台挨拶
下高井戸シネマの特集上映「優れたドキュメンタリー映画を観る会 VOL.28:舟はゆっくり朝日を浴びて -slow boat to future-」に『“私”を生きる』が選出されました。
初日(5月26日)、根津公子さん(出演者)による舞台挨拶あり
「教育を考える@練馬」連続セミナー『“私”を生きる』上映会
練馬区立 勤労福祉会館(西武池袋線大泉学園駅南口徒歩3分)
第1回:10時30分/第2回:13時45分
(第1回と2回の間に30分間の出演者のショートトーク)