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ラジ・スラーニ弁護士来日
故郷を喪失したパレスチナ人は“フクシマ”に何を見るのか

ラジ・スラーニ氏来日・延期のお知らせ

 「ラジ・スラーニ氏 来日実行委員会」代表・土井敏邦です。
 7月来日に向け、今年1月から半年にわたって私たちは準備を重ね、すでにスラーニ氏を迎えるばかりになっていたのですが、ここに来て、みなさんに残念なお知らせをしなければなりません。
 ガザ・エジプト国境(ラファ検問所)は1月以来、エジプト側によって封鎖され、人の往来ができない状態続いていましたが、6月後半になってもスラーニ氏がガザ地区を出ることができない状態です。5月末のエジプト大統領選挙のための一時的なセキュリティー対策だとスラーニ氏も見ていたのですが、選挙後も封鎖政策が続いています。スラーニ氏はイスラエル側からガザを出る方法も試みましたが、イスラエル当局から拒否されました。これが“ガザ封鎖”の現実です。
 イスラエルによる封鎖政策も続く180万人のガザ住民にとって“生命線”だった地下トンネルも前軍事政権によって大半が破壊され、現在、生活必需品の供給さえ難しい状況だといわています。また住民は難病の治療や仕事のために国外に出ることもできません。

 ガザ住民が前例のない困難な状況下にある今だからこそ、スラーニ氏を日本に招いてその現状を直接私たちに伝えてほしかったのですが、今はそれがかないません。
 しかし近い将来、何としてもスラーニ氏来日を実現する決意です。10月初旬の来日をめざし再調整してみます。
 どうか事情をご理解ください。

6月20日 土井敏邦

ラジ・スラーニ氏の経歴

Raji Sourani
パレスチナを代表する人権活動家、オピニオン・リーダー。
1995年、ガザ市で「パレスチナ人権センター/Palestinian Center for Human Rights(PCHR)」を創設。イスラエル占領時代、5年近く逮捕・拘留され、激しい拷問を受けた。
長年の人権擁護の活動は国際的に高く評価され、ロバート ケネディ人権賞(1991年)、フランス人権賞(1996年)などを数々の国際的な賞を受賞。2013年12月には、“第二のノーベル平和賞”ともいわれるライト・ライブリフッド賞を受賞。
1953 年、ガザ市生まれ。

ラジ・スラーニ紹介ビデオ(制作:土井敏邦)

2013年ライト・ライブリフッド賞、受賞スピーチ

内容

最悪の“封鎖”下のガザ現状報告

ガザ地区では今なおイスラエルによる“封鎖”が続く一方、昨年夏、エジプトにハマス政権を敵視する軍事政権が誕生すると、ガザ住民の“生命線”だった国境沿いの地下トンネルが徹底的に破壊されました。その結果、ガザ地区はイスラエルによる“封鎖”に加え、エジプト側からの物資の流入の道さえ絶たれる、最悪の状況に追い込まれています。このガザ地区の現状を、ガザ在住の人権活動家ラジ・スラーニ氏が直接、日本の市民に伝え「和平交渉」の行き詰まりで混沌とするパレスチナ・イスラエル情勢を解説します。

パレスチナ・フクシマ ヒロシマ

ラジ・スラーニ氏招聘のもう1つの目的は、福島の訪問です。原発事故という“人災”で“故郷”“土地”を追われた福島の人びとを、同じく“人災”で“故郷”を失ったパレスチナ人が訪ね、“パレスチナ”と“フクシマ”との接点と普遍性を探ります。さらに広島を訪ね、人類最悪の悲劇として並列され る“ヒロシマ”“アウシュビッツ”との関係を、新たに“パ レスチナ”の視点を加えて再考します。これまで全く接点のなかった「パレスチナ・フクシマ・ ・ヒロシマ」を貫く普遍性をパレスチナ人の視点から模索すること。これもスラーニ氏の日本招聘の大きな目的です。

支援のお願い

このラジ・スラーニ氏の日本招聘に賛同してくださる方々の支援をお願いします。個人は一口 5000 円、団体は一口 10,000円ですが、何口でも結構です。

【郵便振込】 00280−0−95978
「土井敏邦 パレスチナ・記録の会」
※ 必ず「ラジ・スラーニ来日・支援」とご記入ください。

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主催・連絡先

【主催】ラジ・スラーニ氏 来日実行委員会
【連絡先】doitoshikuni@mail.goo.ne.jp