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日々の雑感 96:
『ルポ 貧困大国アメリカ』に映し出される日本社会(5)

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2008年6月3日(火)

 「第5章 世界中のワーキングプアが支える民営化された戦争」
 「市場原理」の導入がもたらした現状を著者、堤未果氏はこう表現する。

 「政府が国際競争力をつけようと規制緩和や法人税の引下げで大企業を優遇し、その分、社会保障費を削減することによって帳尻を合わせようとした結果、中間層は消滅し、貧困層は『勝ち組』の利益を拡大するシステムの中にしっかりと組み込まれてしまった」

 これまで紹介したアメリカ社会で起こっている現象、また現在の日本の「勝ち組」と「負け組」の“格差”の拡大、政府による「民営化」「効率化」の名の下に進む社会的弱者の切り捨て、その一方で拡大する資本家や富裕層への政府の優遇政策の実態を目の当たりすると、実に核心を突いた表現だ。

 著者が「民営化された戦争」の代表的なケースとして挙げる「イラク戦争」の実態も、「政府、為政者たちは資本家、富裕層のため政策を作成し実行しているのではないか」という私たちの疑念をさらに確信に近づけていく。
 ニューヨーク州で暮らすあるトラック運転手は、かさむ息子の治療費などで生活苦に陥り、多額の借金を抱える。そんな彼は、「トラック運転手で6万5000ドルという破格の年収」を提示したリクルーターの誘いに引かれて応募する。そして送られた先が戦場のイラクだった。現地で、米兵が使用する劣化ウラン弾の影響で放射能に汚染されている可能性の高い水を飲み続けるうちに身体に異変が起こる。診断結果は白血病だった。帰国後、彼はほとんど寝たきりとなり、妻が昼間と夜の両方の仕事をしても、一家の生活状況はイラクに行く前よりひどい貧困状態に陥り、アパートを出てトレーラー暮らしを強いられている。
 派遣会社によってイラクやアフガニスタンに送られるのは、生活苦から脱却しようとするアメリカ人だけではない。フィリピン、中国、インド、ネパールなど最貧国から、少しでも高い賃金を求める人々が「料理人」や「清掃人」として雇われ、戦地へ送られてくる。そしてその戦場で犠牲となる者も少なくない。あるデーターによれば、イラクで犠牲になった外国人の一般市民のうち3分の1が第三国からの労働者たちだった。そんな危険で過酷な仕事でも、その見返りは驚くほど少ない。アメリカ在住のあるフィリピン人派遣員の月収が600ドルに比べ、シェラ・レオネ出身の同僚の月収は150ドルに過ぎなかった。長時間労働の時給は45セントに過ぎないのだ。
 それら多くの派遣会社の親会社の1つがハリバートン社。かつてチェイニー副大統領が最高責任者だったアメリカの石油サービス・建設企業である。
 このように米軍が「民間戦争請負会社」に業務委託をするのは、「大幅なコスト・カットとアメリカのイラク派兵に反対する同盟国との間の軋轢なしにその国から戦争を支える労働者を得られるという一石二鳥となる」からだ。
 もう1つ「民間戦争請負会社」として象徴的な例が「傭兵」の派遣会社、「ブラックウォーターUSA社」である。随時出動態勢にある20機の飛行機と兵士2万人を擁する世界最大の民間軍事基地を備えている。この「傭兵」会社が現地のイラクで起こす民間人に対する非人道的な行為が大きな問題となっている。しかし彼ら「傭兵」には監視も法的な拘束もない。たとえどんな非人道的な行為を行っても、国際法で裁くことは不可能だという。
 たとえ将来、米軍がイラクから撤退しても、イラク戦争自体に予算が出続ければ、その金は「民間戦争請負会社」に流れ、「民営化された戦争」が続くと著者は指摘する。

 9・11以後、アメリカで進行しているのは、個人情報の一元化と、国民監視体制の強化だ。アメリカの大手電話会社AT&T社が、顧客の通信内容情報をNSA(国家安全保障局)に提供していたことも明らかになった。また2002年には、NSAが裁判所の令状なしで盗聴に従事することを認める大統領命令にブッシュが署名している。
 しかしこれはアメリカだけの話ではない。「個人情報保護法」が成立したとき、NTTドコモが顧客の携帯位置情報を令状なしで警察に提供していることが明らかになっている。また2007年6月には、自衛隊の「情報保全隊」が、自衛隊イラク派兵反対運動に関わった個人や団体の情報を記録していたことが明らかになった。

 アメリカ国内で経済的状況を含む個人情報が本人の知らないところで派遣会社に渡り、その結果、生活費のために戦地での勤務につき、死亡する国民も急増する。
 著者が本書で紹介する「グローバリゼーションによって形態自体が様変わりした戦争」についての発言は、現在の、そして近い将来の日本の若者たちとも無縁でない気がする。

 「政府は格差を拡大する政策を次々と打ち出すだけでいいのです。経済的に追いつめられた国民は、黙っていてもイデオロギーのためではなく生活苦から戦争に行ってくれますから。ある者は兵士として、またある者は戦争請負会社の派遣社員として、巨大な利益を生み出す戦争ビジネスを支えてくれるのです」

 「州兵としてイラク戦争を支えた日本人」として紹介されているあるアメリカ在住の日本人青年の言葉は、軍隊とはどういう組織か、またどういう動機で兵士となっていくのかを私たちに教えてくれる。
 「生活のために続けていた寿司屋のアルバイトより大学の学費が出る分ずっと将来につながる就職先」として米軍に入隊した加藤氏(仮名)。彼が体験した軍隊の訓練は「人格破壊」だった。

 「命令に服従するロボットです。そのために軍は2ヵ月間で徹底的に僕たち兵士の人格を破壊するんです」

 「(朝4時にいきなり起されて教官にブーツを見せろと言われ、曇っているとけちをつけられ、窓から雨でぬかるみになっている外へブーツを投げ捨てられる行為は)ただ、自尊心を叩き潰すためにやるんです。軍隊では暴力は禁止されているから直接は手を出してきませんが、代わりに精神的に追いつめてゆく。最初に壊してしまえばあとが楽だという理由からだそうです」

 「どうせ体力も精神力も教官には太刀打ちできないんです。ならば抵抗するだけ無駄だと思ったんです。その時ふと思い出したのは、日本にいたときの野球部のしごきでしたね。強い選手を作り出すためだといって、繰り返し怒鳴り、屈辱を味あわせ、体罰を与える。軍隊のやり方は日本の根性野球にそっくりでした。ただし作り出されるのは強い選手ではなく、殺しのためのマシンですが」

 著者が加藤氏に訊く。「自分がイラクにいる意味を考えたりはしましたか」

 「何のためにです? マンハッタンで寿司屋や運送屋のアルバイトをしていた時と、何ら違いはありませんよ。機械的に体を動かして金を稼ぐ時に感情は邪魔です、それが日雇いの肉体労働であっても、戦争であっても」

 「それまで政治なんか興味がなかった連中が、イラクに行った途端にいのちの価値を考え始め、間違っていると叫び反戦に立ち上がる。平和な国のマスコミはそんなストーリーを期待するでしょう。でも現実はそうじゃない。貧乏人の黒人が前線に行かされるというのも正しいとは言えません。今は、黒人も白人も男も女も年寄りも若者も、みな同じです。目の前の生活に追いつめられた末に選ばされる選択肢の1つに、戦争があるというだけです」

 「苦しい生活のために数少ない選択肢の1つである戦争を選んだ僕は人間としてそんなに失格ですか? たまたま9条を持つ日本に生まれたからといって、それを踏みにじったとなぜ責められなければいけないんでしょう?
 アメリカ社会が僕から奪ったのは25条です。人間らしく生きのびるための生存権を失った時、9条の精神より目の前のパンに手が伸びるのは人間として当たり前ですよ。狂っているのはそんな風に追いつめる社会の仕組みの方です。僕が米兵の1人としてイラクで失ういのちと、日本で毎年3万人が自ら捨てるいのちと、どちらが重いなんて誰が言えるんですか?」

 著者は“民主主義”には2種類あると思った、と書いている。
1つは「経済重視型の民主主義」。生活の便利さをもたらし、能力主義で目に見える利益に価値を置き、戦争ももっとも効率のいいビッグビジネスにしてしまう。
 もう1つは“いのちをものさしにした民主主義”。ゴールは、環境や人権、人間らしい暮らしに光をあて、1人ひとりが穏やかに幸せに生きられる社会を作り出すこと。
 前者では国民はなるべくものを考えないほうが都合がよく、その存在は指導者たちにとっての「消費者・捨て駒」になるが、後者では国民は個人の顔や生きてきた歴史、尊厳を持った「いのち」として扱われることになる、と著者は言う。

 私がこの『ルポ 貧困大国アメリカ』の内容を5回にわたって紹介したのは、これを一読して、「いい本だったなあ」とつぶやき本棚の片隅に置き去りにしてしまうには、この本の中にあまりにも重要な、普遍的な主題が提示されていると思ったからだ。読みながら私は、現在のアメリカや日本の社会で起こっている様々な現象の根底にある“構造”を目の前に突き出されたような強い衝撃を覚えた。ここで描かれている“構造”は決してアメリカ独自のものではなく、まさにその“鏡”に日本の現状とその根底にある日本の問題の“構造” が映し出され、その実態と問題の根源が透けてみえてくるのだ。本書で描かれているアメリカ社会の実態と“構造”をきちんと捉えていないと、いま日本の、とりわけ若者の間で深刻化している「ワーキング・プア」に象徴されるような“社会の格差”問題、メディアや教育現場で急速に進行する右傾化・保守化の動きの根底が見えてこないとのではと思った。アメリカ社会をモデルに本書で示された“構造”を、要約して書き写すことで、自分自身の“血肉”にし、それを道しるべにして日本社会の現状をみつめなおす、そのためにはこれだけの時間と労力を費やしても惜しくないと思った。
 そういう意味では、『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』の要約と同様、「このコラムの読者のため」というより、自分自身のために本書を要約してきたと言っていい。

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