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2022年6月12日(日)
ドキュメンタリー映画『“私”を生きる』(監督・土井敏邦)上映と(『教育と愛国』)斉加尚代監督トーク
東京都・日比谷図書館/コンベンションホール

日々の雑感 414:
映画『教育と愛国』と愛国心

2022年5月13日

強まる教育への政治介入

 東京都の学校現場で、「日の丸・君が代」強制や言論統制に対し毅然と抗い、都教育委員会からの処分を受けながらも “私”を貫く3人の教師たちを描いたドキュメンタリー映画『“私”を生きる』を劇場公開したのは2012年だった。

 あれから10年経った今、「教育への政治の介入」が、“戦前回帰”を想わせるほどまでに強まっている現在の教育現場の実態を、私はドキュメンタリー映画『教育と愛国』(斉加尚代監督)で思い知った。
 その政治介入の象徴的な手段が「教科書検定」制度であることをこの映画は描く。
 小学校の教科書で、パン屋が登場するページが「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度に照らし扱いが不適切」として(和菓子屋の)<饅頭>と替えられる。戦前の主要科目で「修身」と呼ばれていた道徳が、73年ぶりに正式な教科に戻された。

 とりわけ衝撃的なシーンは、かつて中学校の歴史教科書で、東京都23区全てで採用されるほど圧倒的なシャアを誇っていたある大手の教科書会社が、「慰安婦」問題を日本軍が関わった事実として取り上げるなど戦争加害の記述を増やしたため、東京都23区のうち20区の採用がなくなり、倒産してしまった現実だ。
 その教科書の元編集者は「私自身も戦争加害の問題については中学生でも、ちゃんと教科書に記述して、戦争加害の問題を書かないと、原爆の被害とか、空襲の被害とか、被害の歴史だけでは、戦争の学習にはならないということで、加害の問題は教科書では避けて通れない」と自らの強い信念を語っている。そのまっとうな主張が通らないほどに、現在の日本社会、とりわけ教育現場は右傾化してしまっている現実を、この映画は私たちに突き付けている。

「ちゃんとした日本人」とは?

 その教科書会社の倒産の直前に従来の歴史教科書を「『自虐史観』に基づくもので、日本を貶める」と批判する「新しい教科書をつくる会」が発足している。その会がその後、発行した教科書では神話の記述に多くのページを割き、日中戦争では「南京虐殺」には触れない。一方で「教育勅語」は肯定的に扱われている。
 その一つ育鵬社の教科書の代表執筆者、東京大学名誉教授・伊藤隆氏は従来の歴史教科書について「日本人としての誇りを持てないような記述です。『愛国教育をやれ』と言っているのではなく、左翼史観に覆われるような歴史を教えるんじゃなくて、ありのままの日本を教えた方がいい。そうでなければ困る」と発言している。
 さらに斉加監督に「育鵬社の教科書がめざすものは?」と問われ、伊藤氏は「ちゃんとした日本人を作ること」と答えた。さらに監督が「『ちゃんとした』というのは?」と畳かけると、「左翼ではない、昔からの伝統を引き継いできた日本人」と答えている。これが「東京大学の歴史学の教授」だった人物である。

 安部晋三・元首相も野党時代の2012年、大阪で開かれた教育問題に関するシンポジウムで、こう語っている。
「日本人というアイデンティティを備えた国民をつくることが教育の目的です。教育の一丁目一番に道徳心を培うことです。日本の子どもが日本という国を貶めていたら、日本人であることに誇りを持てなければ、自分自身に誇りが持てないんです。当たり前じゃないですか。これを変えていかなければいけない。それには教育の現場を変えていくということです」

 安部氏はその「教育の現場を変えていく」ために、横浜市で育鵬社の教科書が採用された例をあげ、「(政治家が)強い信念に基づいて教育委員を変えていくんですよ」と語り、教育を政治家の力で「改革」していくべきだと主張した。

 映画『教育と愛国』で紹介されているこの二人の発言に、私は強い違和感を抱いた。
 伊藤隆氏は「ありのままの日本を教えた方がいい。そうでなければ困る」という。では「ありのままの日本」とは何か。「南京虐殺」に象徴される東アジアを侵略した旧日本軍の虐殺、レイプ、蛮行などの加害歴史はすでに国際的に“史実”として認知されている。それら日本の加害歴史を全て否定することが、「ありのままの日本を教える」ことなのか。それが「フィクション」だと言うのなら、それを否定できて国際社会を納得させるに足る“証拠”を示すべきだ。「東京大学の歴史学の元教授」なら、なおさらである。

 安部氏も伊藤氏も日本の加害歴史を教えることは「日本人を貶めることだ」「自国に誇りを持てなくなる」という。では教育現場でホロコースト(ユダヤ人大虐殺)に象徴される自国の加害歴史をきちんと教育現場で教えるドイツの国民は、「自国民を貶めている」「自国に誇りをもっていない」のか。一国の首相として、ドイツの首相や国民に向かって安部元首相はそう言い切るほどの信念と覚悟をもっていたのか。

映画が問う「愛国とは何か?」

 この議論は、「愛国とは何か」というテーマに直結する。
 映画『教育と愛国』のなかでは、「愛国心」について、安部氏の「日本人であることを誇りに思う」という言葉以外、具体的な議論はほとんどない。それでも、映画のタイトルに「愛国」という言葉を斉加監督が敢えて使ったのは、「自国の加害歴史を直視する教育は、“愛国心”を奪ってしまうのか」「真の“愛国”とはいったい何か」という主題のテーマを映画全体を通して観客に問おうとしたからではないか。

 それはずっと私が追求するテーマの一つでもある。
 2009年に私はドキュメンタリー映画『沈黙を破る』を公開した。これはパレスチナ人地区の占領地に送られたイスラエル軍将兵たちがNGO「沈黙を破る」を結成し、他民族を占領し支配することで若い将兵たちが人間としてのモラルを失い、“怪物”になっていく現実を自ら告白する映画である。つまり占領・支配という自国の“加害”を告白するのだ。

 今年11月、その映画の続編『愛国の告白―沈黙を破る・Part2―』を劇場公開する。この続編では、自らの占領体験を通して自国の加害の実態を告白することで、自国の政府や右派勢力から「非国民」「裏切り者」と激しい攻撃を受ける現実を描いた。
 非難・攻撃する側が強調するのは、イスラエルは周辺アラブ諸国の敵意や「パレスチナ人のテロ」の「被害者」であり、自国の加害を告発するのは利敵行為であり、自国への裏切り行為だというのである。
 この構図は、日本で起こっている現状と酷似している。東アジアにおける日本の加害歴史を明らかにしようとすると、為政者たちやこれに与する右派勢力は「それは自虐史観」「日本に敵意を持つ中国や韓国・北朝鮮を利する裏切り行為」だと攻撃するのだ。

 では自国による“占領”という加害を告発するイスラエル軍将兵たちには、“愛国心”がないのか。彼らは18歳で徴兵された全国の兵士たちの中から選び抜かれた「戦闘兵士」というエリートたちである。誰よりも祖国を想い、祖国のために命さえ投げ出す覚悟をもった“愛国者”たちなのだ。だからこそ、他者を占領し支配する行為によって、将来の祖国を担うべき若者たちが人間性、道徳心や倫理観を失い、結果的にイスラエル社会全体のモラルを崩壊させてしまうことに強い危機感を抱き、あえて占領地での加害を告発したのである。
 それが「祖国への裏切り者」なのか。「非国民」なのか。いや、彼らこそ、祖国を愛し、その将来を危惧し国の政策を変えていかねばと願い、非難・攻撃、時には命の危険さえ覚悟で行動する真の“愛国者”ではないか。私が新作映画のメインタイトルを「愛国の告白」としたのは、そういう思いを込めたからだった。

私の映画「“私”を生きる」で紹介した三人の教師たちもまた、先の戦争での自国の加害に反省も清算もしないままに当時の侵略国・日本の象徴である「日の丸・君が代」を強制する「指導」を頑なに拒み、“戦前回帰”を想わせる学校現場の言論統制に抗った。その教師たちこそ、将来の日本を想う真の“愛国者”ではないか。

 そしてこの映画『教育と愛国』の中に登場する、祖国が同じ過ちを犯さないために、日本の加害歴史と向き合い、教え伝えていこうとする教科書編集者や執筆者、中学校の社会科教師、大学の研究者たちもまた「非国民」どころか、真の“愛国者”ではなのか――斉加監督は、観客にそう問い訴えているように私には思えた。

 それにしても、権力を監視すべきメディアのトップたちが権力者と馴れあい、その意向を「忖度」する報道があふれる現在の日本のメディアの現状、そして政治や教育現場、さらに社会全体がものすごい勢いで右傾化し“戦前回帰”していく今の日本の空気のなかで、その大手メディアという組織の中から、こういうドキュメンタリー映画が生まれたことに私は心底驚いている。この映画を生み出し世に出すために、斉加尚代監督はさまざまな圧力や妨害と闘ってきたに違いない。その信念と勇気と行動力に、私は心から敬意を表したい。

映画『教育と愛国』
2020年5月13日(金)より順次公開
シネ・リーブル池袋/UPLINK 吉祥寺/ヒューマントラストシネマ有楽町/京都シネマ/第七藝術劇場ほか

映画『教育と愛国』公式サイト

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